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是枝裕和監督作に出てくるプール、海、湖、風呂……「水」の連想で読み解く「家族」の関係

『DISTANCE』は、カルト教団に取り込まれた人々の家族に焦点を合わせた映画である。映画がはじまった時点で、「真理の箱舟」が3年前に世間を震撼させる無差別大量殺人事件を起こしたことが明かされる(プールのシーンは勝の回想)。オウム真理教による地下鉄サリン事件を思い出さずにはいられない設定である。

 地下鉄サリン事件との大きな違いは、「真理の箱舟」が水道水を狙った点だ。勝の兄は水道水に新種のウィルスを混入させた実行犯の一人だった。実行犯たちは、犯行後に教団によって殺されてしまう。

 是枝は、犯罪には「モノに付着している意味を変えてしまうこと」があると述べている。そして「このモノは日常的であればあるほど、意味の反転が鮮やかなほどあとを引くことになる」とも。教団による事件は、まさに人々が安全であると信じて日常的に使用していた水道水の「共通イメージを打ち砕いてしま」ったのである(注2)。事件に巻き込まれた人々は、水道水を見るたびに事件のことを思い出さざるをえない。

 その事件がもともと水に恐怖を感じていた人間によって引き起こされたというのはなんとも皮肉であり、同時に、設定の妙でもある。人がカルトに取り込まれる理由はさまざまだろうが、そのなかには、自分の人生や現在の生活に対する満たされない思いがあるだろう。是枝は次のように言う。

今日と同じ平穏な明日が必ずやって来るという事実をほとんどの人が安心と落胆の入り混じった複雑な感情で受け入れざるを得ない時に、映画の『新世紀エヴァンゲリオン』のコピーではないが「みんな死んでしまえばいいのに……」と心の中で呟いている人は少なくないのではないかと思う。特に幸せや、リアルな生の実感を実社会や実生活の中に感じることのできていない人達の中に、世界のリセットボタンを押して0からやり直せたらと思う気持ちが芽生えることはむしろ自然なことではないか。(注3)

 是枝のこの言葉からは、前回の連載で取り上げた庵野秀明と彼が同じ時代感覚を共有していることがうかがえる。勝の兄は、水にまつわる自分のトラウマを反転させ、世間への復讐を試みたのかもしれない。

 水道水にトラウマを植え付けられた人物として、映画にはきよか(夏川結衣)という女性が出てくる。

 夫が実行犯だった彼女は、事件から3年が経った現在も水道水を恐れている。そのことは言葉で説明されるのではなく、きよかの生活ぶりによって表現される。仕事から帰ってきた彼女は、パソコン画面上の魚に「ただいま」と声をかけ、その世話をしている【図3】。その後、買ってきたドリアらしきものを加熱して食べ、ペットボトルの水で米を研いで翌日のためにおにぎりを握る。水道水を徹底的に避けて生活しているのである。

【図3】きよかは液晶画面のなかのバーチャルな魚をかわいがっている。リアルの魚を飼おうとすればどうしても水道水を使わざるをえないからだろう。
【図3】きよかは液晶画面のなかのバーチャルな魚をかわいがっている。リアルの魚を飼おうとすればどうしても水道水を使わざるをえないからだろう。

 きよかとは対照的に、加害者遺族でありながら水をまったく恐れないのが勝である(水泳のインストラクターという設定は象徴的だ)。加害者遺族たちは毎年事件のあった日に集まり、教団によって殺害された実行犯たちの遺灰が撒かれた湖を慰霊に訪れている。この映画が描いているのは事件から3年目の会合の前後である。湖は山奥深くの教団施設の近くにある。

 彼らが湖に滞在しているあいだに、乗ってきた車が何者かに盗まれてしまう。日没までに徒歩で下山するのは不可能な距離なので、彼らは近くにある小屋(教団施設のひとつ)で一夜を過ごす羽目になる。勝はずっと使われていなかった施設の水道の蛇口をこともなげにひねると、あろうことかそれを口に含む。また、教団施設に泊まった翌朝には、兄の遺灰が撒かれたとされる湖に一人だけ降り立ち、その水に手をひたすのである【図4】。

【図4】勝は兄の遺灰が撒かれたことを知っていながら、湖の水に手をひたす。
【図4】勝は兄の遺灰が撒かれたことを知っていながら、湖の水に手をひたす。

 映画の終盤には、勝が交際中の彼女・梓(竹花梓)に泳げるかどうかを尋ね、「泳げない」と答えた彼女に対して「今度教えてあげるね」と言うシーンがある。「なんで? なんで?」と問い返す彼女に、勝はそれ以上何も言わない。しかし、このやりとりからは、彼なりに事件にけじめをつけて、前に進んでいこうと決意していることがうかがえる。

 自分の兄を救えなかった勝は、もしかしたらこれから家族になるかもしれない恋人と正面から向き合うことを決心したのである(それ以前は恋人に対して嘘ばかりついていたようだ)。この場面で問題にしているのは、単に水中を泳げるかどうかではない。世の中や人生を「荒波」にたとえることがあるが、勝は苦しみや悲しみに満ちた人生を彼女とともに泳いでいく覚悟を決めたのである。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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