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是枝裕和監督作に出てくるプール、海、湖、風呂……「水」の連想で読み解く「家族」の関係

親子関係が象徴される入浴シーン

 プールと海と湖。これらの水源は家族のテーマと響きあって是枝映画の世界を伏流している。だが、連想はここで終わらない。さらに入浴シーン、すなわち「風呂」のモチーフへと流れ込んでいく。

『DISTANCE』のみのるは、元妻(山下容莉枝)が教団に入信し、実行犯として殺害されている。彼はほかの加害者遺族に対して、自分の娘(再婚相手の連れ子かもしれない)のことがいかにもかわいくて仕方ないという様子で「ああ、早く帰りてえな。あゆみちゃん(※娘の名前)と風呂入りてえな」と言うが、その前のシーンには、泣いている幼い娘を無視する様子が映し出されている【図7】。

【図7】画面右隅に泣いている子どもが映っている。実は奥の部屋から、この子の横を素通りしてこちら側にやってくる。
【図7】画面右隅に泣いている子どもが映っている。実は奥の部屋から、この子の横を素通りしてこちら側にやってくる。

 上司との飲みから帰宅したみのるは、下の階の住人から騒音の苦情を入れられたと愚痴る妻(平岩友美)のことを無視し、さらに、泣いている娘が「パパ、パパ」と呼びかけるのも無視する。テーブルの上にはモノが乱雑に置かれており、家のなかも散らかっている。そのような家庭の状態を放置して、彼は仕事に逃げている。つまり、みのるは決して娘と一緒に風呂に入ったりしない人間なのである。

 これは彼の元妻がなぜ教団へのめりこんだのかを理解するうえで重要なシーンだろう。みのるの回想シーンのなかで、元妻は「一度もわたしと向き合おうとしてくれなかったじゃない」、「(教団には)ほんとうに心を許しあえる仲間がいるのよ」と言っていた。彼の姿勢はそのときから変わっていないように思える。

 是枝映画における風呂は、家族仲を示すバロメーターとして機能する。

『幻の光』(1995年)では、夫の死を境に赤ん坊の入浴を自分の母親に任せるようになった妻の様子を描き、再婚後に再び入浴にまつわるシーンを置くことで、彼女の再生と新たな家族の誕生を仄めかしている。『誰も知らない』(2004年)の父親違いの兄弟は仲良く湯船につかっている。だが、水道を止められてそれがままならなくなると、やがて兄弟姉妹間に不穏な空気が漂いはじめる。

『歩いても 歩いても』(2008年)では、父親が再婚相手の連れ子と一緒に実家の風呂に入り、自分の母親から教えてもらった話を伝える。『そして父になる』(2013年)では、子どもの入浴のさせ方によって二つの家族の違いを際立たせている。台風の影響から離婚した元妻と息子を実家の団地に泊めることになった『海よりもまだ深く』(2016年)の夫は一人で入浴する(家族との関係性もさることながら、狭くて汚い浴室はうまくいっていない彼の人生を象徴する)。

『万引き家族』には、夫が連れ帰ってきた虐待児を妻が風呂に入れ、お互いの腕の傷跡を見せあうシーンがある。『ベイビー・ブローカー』では、ブローカーの男が赤ん坊を風呂に入れようとする。洗車のシーンで車の窓を空けてしまい、一行がびしょ濡れになるのも入浴のバリエーションと見なしていいかもしれない。

 これらは是枝映画に登場する入浴シーンのごく一部である。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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