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是枝裕和監督作に出てくるプール、海、湖、風呂……「水」の連想で読み解く「家族」の関係

最新作『ベイビー・ブローカー』にも見られる「家族」と「水」のシーン

 ここまで是枝映画に見られるプールの話をしてきたが、そこから海水浴を思い浮かべてもそれほど突飛ではないだろう。

 最新作の『ベイビー・ブローカー』(2022年)の終盤には、ひっそりと海水浴のシーンが置かれている。刑事のアン・スジン(ぺ・ドゥナ)は、夫とともにムン・ソヨン(イ・ジウン)の子どもウソンを海に連れていく。ウソンは、一度はソヨンがベイビー・ボックスに捨てようとした子である。服役中のソヨンに代わって、現在はスジンが預かっている。一家団欒の微笑ましい一コマだが、スジンとウソンのあいだには当然ながら血のつながりがない。

 あるいは『万引き家族』(2018年)にも家族総出で海水浴に興じるシーンがあったが、彼らにもやはり血のつながりはない。

「擬似家族」は是枝作品に通底するテーマである。是枝映画の家族は、しばしば水を介して家族としての親密さを育む。是枝映画の水は、文字通り「家族」のテーマを召喚する呼び水となっているのである。

 そう考えると、『DISTANCE』の湖もまたこの系譜に連なる装置であることがわかる。実行犯に指名されながら直前になって逃げ出した元教団員の坂田(浅野忠信)は、仲の良かった夕子(りょう)との会話を回想する(夕子は実行犯の一人である)。二人の会話は湖の桟橋でおこなわれている。そのなかで坂田は、教団の男性信者たちと湖で一緒に泳いだ思い出を口にする。彼らは同じ水につかることで親交を深め、信仰を確かめ合っていたのかもしれない。

 じっさい、『DISTANCE』の教団は擬似的な家族であるかのように描写されている。加害者遺族の一人であるみのる(寺島進)と二人きりで話している際、家族について問われた坂田は、現在音信不通状態にあると答える。さらに、教団について「居心地よかったわけ?」、「家族みたいな、なんかあったかい雰囲気だったの?」と訊かれて「そうですね、そういうのはありました」と応じている。

 その後、夕子の弟だという敦(ARATA/井浦新)と会話をするシーンでは、教祖の印象を尋ねられて「お父さん」みたいだったと言い、教団については「家族っぽいノリがあった」と述べている。これらの会話から、現実の家族とのあいだに問題を抱えていた人が、そのオルタナティブとしての擬似家族を教団に求めていたことがうかがえる。

 だが、家族に問題を抱えているのは教団の信者だけではない。じつは敦は夕子の弟ではないらしいことがのちに明らかとなる。また、敦は映画の序盤で入院中の父親を見舞っていたが、じっさいには赤の他人だったことが発覚する。彼は自分の家族について嘘をついていたのだ。

 それでは、なぜ敦は加害者遺族の会合に毎年参加し続けているのか。彼の父親こそが「真理の箱舟」の教祖だったからである。

 映画終盤の敦の回想シーンに「結婚したこと後悔してんでしょ?」、「子どもたちのことどうするの? かわいくないんですか?」という女性の詰問調の声から始まるものがある。続いて、庭で何かを焼いている男の後ろ姿が映し出される。そのあとの回想で、彼が焼いていたのが家族写真であることがわかる。女性の声の主は敦の母親で、後ろ姿の男は敦の本当の父親なのだろう。

 つまりは、教祖自身が家族との関係をうまく構築できず、家族を捨てた人間だったということである。その教祖が作った教団に、やはり家族関係がうまくいかなかった人々が集って、擬似家族的なコミュニティを作り出したのだ。

 敦は加害者遺族たちの集まりのあと、おそらくは父である教祖の命日に(教祖は自殺している)、今度は一人で再び湖を訪れる。湖へと続く桟橋の端に立ち、父親が好きだったというユリの花を手向け、「父さん」とつぶやく。立ち去る際に敦がマッチで桟橋に火を放つと、父親が家族写真を焼いているショットがインサートされる。そして桟橋に上がる大きな火柱を写して映画は終わる【図5】。あたかも湖を鏡にして、偽りの家族に救いを求めようとした二人の似姿が重なっているようである。

【図5】桟橋に火を放った敦の行動は、かつて家族写真を焼き捨てた父親のそれを反復するものだ。その反復が父親との決別の覚悟を示すものなのか、それとも別の意味を持つのかが劇中では明言されず、観客の想像に委ねられる。彼らと観客との距離もまたこの映画のテーマである。
【図5】桟橋に火を放った敦の行動は、かつて家族写真を焼き捨てた父親のそれを反復するものだ。その反復が父親との決別の覚悟を示すものなのか、それとも別の意味を持つのかが劇中では明言されず、観客の想像に委ねられる。彼らと観客との距離もまたこの映画のテーマである。

 加害者遺族たちはみな、事件後も家族との関係構築に問題を抱えている。敦は嘘の家族を作り出し【図6】、勝は恋人と向き合うことを避け(先ほど見たようにその心境の変化にある種の希望が託されている)、きよかは亡き夫とのあいだに生まれた幼い息子と離れて暮らしている(映画の最後には彼女が息子と電話をするシーンがある)。事件後に再婚したみのるも、後述するように、子どもに関する嘘をつく。

 加害者も、加害者遺族も同様に家族に問題を抱えていたのだとすれば、彼らのあいだにはいったいどれほどの「距離」があったのか? 映画のタイトルは観客にそのような問いを突きつけている。

【図6】映画の序盤のシーンで、敦は実家を背景にした偽の家族写真を合成している。
【図6】映画の序盤のシーンで、敦は実家を背景にした偽の家族写真を合成している。
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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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