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庵野秀明・実写映画初監督作『ラブ&ポップ』から読み解く、「名前」に託されたもの

「名前」は誰が与えるものなのか

 カケガワのセリフに呼応するようなシーンが映画の終盤に置かれている。インペリアル・トパーズの指輪(12万8,000円)を購入するためのお金欲しさに、ヒロミは初めて「最後までいく援助交際」をすると決める。その相手として選んだ男(浅野忠信)は、自分のことを「キャプテンEO」と名乗り(「EO」の部分に毎回ピー音が入る)、「ファズボール」と思しきぬいぐるみを持ち歩いていて、たびたびに話しかける変わった人物である(ファズボールの名前を呼ぶときにもピー音が入るし、ぬいぐるみにはモザイクがかかっている)【図5】。

【図5】『ラブ&ポップ』庵野秀明監督、1998年
【図5】『ラブ&ポップ』庵野秀明監督、1998年

 そのファズボールには「俺だけの名前がちゃんとあるんだ」と言い、ヒロミにその名前を訊かれても「名前は教えられないよ」「名前を簡単に人に教えちゃいけないんだよな」と言ってはぐらかす。ただ、男の父親が名付けてくれたことは教えてくれる。ぬいぐるみは旅行先のフロリダで父親にねだって買ってもらったもので、その後、両親が離婚したために、それが父親と最初で最後の旅行になったという。ぬいぐるみの本当の名前は、名付けた父親と男しか知らない。彼のぬいぐるみへの執着は、父親への執着を代替しているのである。

 その後、二人はラブホテルに入る。ヒロミがシャワーを浴びていると、態度を豹変させた男が乗り込んできて乱暴を働こうとする。スタンガンをちらつかせ、もともと金を奪って逃げるつもりだったことを明かすものの、それ以上のことはせず、説教らしいことを言って立ち去る。説教の内容は「おまえがこうやって裸になっているとき、おまえのことを必要としている人間が死ぬほど悲しい思いをしているんだぞ」といったものだった。

 ショックを受けつつもなんとかその場を離れたヒロミが、出典をぼかしてこの言葉をギョーカイで物書きをしている男・ウエハラ(渡辺いっけい)に投げかけると「そのセリフ考えた人って優しい人だね」という思いがけない答えが返ってくる。「えっ」というような表情を浮かべるヒロミに対してウエハラは「それは、おまえには価値があるっていうことでしょ。安売りするなっていうことでしょ。……自分の存在が、誰かにとってとっても価値のあることだから、その誰かが死ぬほど悲しい思いをするってことでしょ」と続ける。ヒロミには「吉井裕美」という固有の名前がある。それは両親が彼女に与えてくれた名前だ。彼女の名前には、(しばしばその優しさを疎ましく思う)家族の愛情が託されているのである。

 映画のラストには、ヒロミがナレーションと対話を繰り広げるシーンがある。その声はヒロミの内的な自分、すなわち「もう一人の自分」のように響く。ナレーションを担当しているのは映画監督の河瀨直美である。三石琴乃や林原めぐみ、石田彰といった「エヴァ」でもおなじみの本職の声優が参加しているなか、このナレーションを「素人」の河瀨が担当しているのは示唆的であるように思う。この内的なやりとりの後、男(浅野)がヒロミの持っていたフィルムケースに仕込んでいた紙片を見つける。その紙には、ファズボールの本当の名前「ミスターラブアンドポップ」が書き記されている。

 『ラブ&ポップ』は庵野秀明が監督した最初の商業的な実写映画である(エンディング・クレジットにはわざわざ「監督 庵野秀明(新人)」と表記されている)。この作品について、庵野は「エヴァ」の旧劇場版に取り組んでいた際に「アニメーションの限界を感じ」「アニメではない表現を考えていた」ことを制作の動機に挙げており、「いま現実にあるものだけを切り取って」「アニメでは絶対にできないことをやろうと思った」とトークショーで述べている。

 もちろん、厳密に言えば性質や程度の差はあるとはいえ、『ラブ&ポップ』には、一見すると庵野がそれまでに手がけたアニメーション的な表現が少なからず見られる。たとえば「実相寺アングル」(特撮TVドラマシリーズの『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』を手がけたことで知られる実相寺昭雄にちなむ)と呼ばれる角度のついた独特のアングルや、独特な構図を生む人物と事物の配置、スピーディな編集リズムなどは健在である。映画のタイトル(カタカナ表記の「シン」に込められた多義性)や登場人物の「名前」に対するこだわりは最新作に至るまで一貫している。

 とはいえ、実写とアニメーションにそれぞれできること/できないこと(向いていること/いないこと)があるのは間違いない。たとえ表面的な表現は似ているようでも、それぞれの媒体に応じてやり方は微調整する必要がある。そもそも実相寺アングルにしても、元は実写映画の技法だったものを庵野がアレンジしてアニメーションに取り入れていたわけで、その経験を踏まえてさらに実写を撮っているのである。このように作り手としてアニメーションと実写を往還する経験は、庵野がその表現スタイルをさらに洗練させる契機となり、その後の作品(実写とアニメーションとを問わず)に活かされていった。

 ちなみに、同時期に岩井俊二が監督した『Love Letter』(1995年)や『スワロウテイル』(1996年)もまた、名前をめぐる物語だった。ここではその内容に言及はしないし、安易に「影響関係がある」といったことを言うつもりはないが、90年代後半という時代をそれぞれに追求した結果、図らずも「名前」や「家族」に行きついた可能性はあると思う。今回は作家を軸にしてそのキャリアを通時的に見てきたが、連載全体としては時代を軸にして複数の作家の作品を共時的に捉えることを目論んでいる。

 なにやら小難しい言い方になってしまった。つまり、映画の見方や感想の書き方を表のテーマに掲げて異なる監督を取り上げつつ、実は前回と今回は「90年代後半」を裏テーマに設定していたということである。少なくとも次回までは同じ時代の作品を選ぼうと思っている。連載を通して、映画に映し出される時代の変化、過去と現代の価値観の変化を感じていただけるように努めていきたい。

興行収入は興行通信社のCINEMAランキング通信・歴代ランキングを参照。
【図版クレジット】 
【図1】『風の谷のナウシカ』宮﨑駿監督、1984年(DVD 、ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント、2003年)
【図2】『王立宇宙軍 オネアミスの翼』山賀博之監督、1987年(DVD、バンダイビジュアル、2009年)
【図3〜5】『ラブ&ポップ』庵野秀明監督、1998年(DVD、キングレコード、2003年)

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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