2022.7.19
あなたはこれからうちの子になるんやし 第1回 義母のことが怖かった
ふたりの母がはじめて出会ったのは
ふたりがはじめて出会ったのは、私の実家でのことだった。
義母はどうしても「あなたのお母さんとお兄さんに、直接ご挨拶に行く」と言って譲らなかった。「ご挨拶なしにお付き合いだなんて、うちの親族ではありえないことでしょう」と言う義母は、それまでにないほど頑なだった。
「あなたはこれからうちの子になるんやし、それもあなたのお母様にしっかりとお伝えしないといけないから」という強い言葉に、私は衝撃を受けていた。
私が十九歳の時に死んだ父は、自分をしっかり持って生きていけと教えてくれた。信念を曲げるな。命令されても従うな。そう常に教えられてきた自分が、両親以外の誰かの子になるなんてあり得ないと考えた。義母は私を自分の所有物のようにして扱おうとしていると思い、怒りしか感じなかった。私は誰のものでもないのだ。
そうは思いながらも、彼女の強い言葉を否定できず、その勢いを止めることができない自分の弱さもわかっていた。義母のことが怖かった。義父は柔らかい口調ながらも、義母と主張は同じだった。絶対に私の実家に、私の母に会いに行くと言って、彼も譲らなかった。義父の場合は、そこに何か理由があるというわけではない。義母がそう言うならというだけのことだ。義父と義母は、常に行動を共にしていた。どこに行くにも一緒で、意見が食い違うところなど、それまで見たことがなかった。だからこそ、義父を説得するのは難しいのだ。義母を攻略できていないのだから、なおさらだ。そのうえ、私は義父がよく理解できない。私たちの言語はまったく別物だから、彼が私を理解することは永遠にないし、私も彼を理解することができないままでいる。きっと、彼は私を宇宙人だと思っている。
母が形式を重んじるタイプではなく、それをむしろ苦手としているのは、娘だから当然よく知っていた。親子だから、私も似ているところがある。特に彼女は、面倒なことが嫌いだった。兄と父の間で繰り広げられた激しい口論にさらされることを長年経験してきたことが理由で、父の死後、母はより自由を求めていた。しがらみ、ルール、人付き合い。そういったもののすべてから、彼女が興味を失っていることは知っていた。母はひたすら、静かな生活を望んでいた。そんな母のもとに、形式をなにより重んじて生きる、主張の強い義理の両親がやってくる。
義母のように押しの強い女性を、母は苦手としていた。年齢は近いが、生きてきた環境があまりにも違う。義母は、結婚したら女は家庭に入って完璧に家事をこなし、ひとりでも多く子どもを産み育て、育児は完璧にこなし、片時も離れず夫のそばにいて支えるのが当然と考える人だった。一度私に、義父の両親が早く死んでしまったために、「介護をさせてもらえなかったことが、とても申し訳なくて、悲しい」と言っていたことがある。私には理解できない気持ちだった。義母は当然のように、私にもまったく同じ種類の妻になることを求めた。そんなことを言いはじめたら、一時間でも止まらないのだった。
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