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オルフェーヴル三冠達成と愉快な会社同期たちの思い出【人生競馬場 第11回】

私はNやSのような人間が好きでたまらない

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 競馬というのはもちろんレースごとに格があり、その日最高のメインレースはGⅠレースである菊花賞だったわけだが、ギャンブラー的視点で見れば、低いクラスのレースもGⅠレースもオッズ(いくら賭ければいくら返ってくるか)の仕組みは同じである。Nは平レースにも全力投球、場内アナウンスで馬体重が流れるたびに競馬新聞に数字をメモしまくって、ぎりぎりまで予想を突き詰めるということを繰り返し、「GⅠの日は人が邪魔やな」などと訳のわからないことを言っていた。もう一人のSという男は麻雀以外のあらゆることに興味がない富山大学の生んだ鬼才だったのだが、競馬にはそれほど詳しくなく、「今日は特別な日なのだ」と説明するとついてきてくれた。Sは最初こそなんとなくお祭りムードを楽しんでくれていたがほどなく飽き始め、「ほんでその菊花賞はいつなん?」とイラつき出す始末だった。私が「こりゃ一人で来た方がよかったか……?」と後悔し始めた頃、Nが突如としてある平レースに注目し、福山雅治のガリレオばりに文字やら式(といっても高校で習う順列組み合わせのしょうもない式だが)を書きまくり始めて「このレース、この馬は必ず三着以内に入る」と断言した。それから競馬の予想家ばりにその根拠をべらべらと並べ立て始めたが、私やSはNの理論を一切信じず馬券も買わなかった。Nは「お前ら、マジで金捨ててるようなもんやぞ」と言ってその馬を軸に三連複を買いまくったのだが、なんとその馬が四着に終わり、Nのおそらく半月分ぐらいの給料が吹っ飛んでいた。その時私とSは腹を抱えて笑い転げ、これだけでも京都競馬場にみんなで来た価値があったと思い直したのだった。

 そしていよいよメインレースの菊花賞が始まった。私たちもスタンドに出たがものすごい人混みで、周囲はかなりの盛り上がりだった。何度かGⅠを観に来ている私もかつて味わったことがないほど異様な雰囲気で、「平レースもGⅠも同じ」の持論を持つNですらやや平常心を失っているようだった。レース中、正直なところ実際の馬はあまりよく見えず、オルフェーヴルの位置についてはターフビジョン(レースが大きく映し出される画面)で確認するしかなかった。オルフェーヴルは馬群の中団あたりにずっとつけており、最終コーナー前でぐんぐん順位を上げていき、最後の直線に入るあたりですでにほとんど先頭に立っていた。このあたりは肉眼でも見えたのだが、はっきり言ってオルフェーヴルと他の馬では走りの次元が違った。横を走っていた馬をさっさと突き放してしまうともはやオルフェーヴルの独壇場となり、後方で脚を溜めて追い込みをかける作戦を採っていた馬も、オルフェーヴル相手にチャンスを作ることすらできなかった。結果的に二着には日本ダービーでも二着だったウインバリアシオンが入ったが、力の差は歴然だった。レースが終わり、気性の荒いオルフェーヴルを乗りこなし見事に実力を発揮させた池添謙一騎手を大観衆が称え、「池添コール」も湧き起こった。ターフビジョンには「おめでとうオルフェーヴル!三冠達成」みたいな文字が出ていたと思う。私やもともと競馬好きではあるNはその歴史的光景に感動し、その後のジョッキーインタビューを聞こうと待っていた。しかしなんと、一緒に来ていたSは「もう帰ろうや」と言い出した。

「レース見れたしもうええやろ。帰り混むやん」

 私とNはその言葉に絶句した。なんと、目の前で日本競馬の歴史が塗り替えられたことを、この男はさっぱり理解していなかったのである。私はSに「これはめったに見られるもんじゃない、もしかしたらもう一生ないかもしれん歴史的瞬間なんや」と懸命に説明したが、Sは「そんなん言うたら何でもそうやろ。お前らは〇〇の伝説の国士無双見たんか?」などと得意の麻雀知識を披露し始めた。私やNは三冠達成直後という、この瞬間の池添騎手の生の言葉を聞きたかったのだ。しかしSは帰りたい帰りたいと言って譲らないので、なぜそんなに帰りたいのかと聞くと、「雀荘に行きたい」と言うのだった。私は麻雀をよくわかっていないが、Sは全国にあるらしいその雀荘のグループの中で上位にランクインして名前もそこそこ出ている猛者らしく、その雀荘にとにかく行きたくなってきたらしかった。

 その後、一応池添騎手のインタビューだけ聞き、私たちは三人で京都競馬場をあとにした。そしてSがそこまで夢中になっている雀荘を見てみるかということになり、多分京都駅の近くの雀荘だったのだが、そこまでSを送り届けた。Sは「お前らもやっていくか?」と言ったが、私もNもそれは固辞して二人きりとなった。私はNに、この三冠の夜を祝って酒でも飲みに行こうと誘ったが、Nは「いや、いい」と言った。

「金なくなった」

 私は「お金なら貸すから」と言ったが、Nは「それって返さなあかんやろ?」と聞いてきたので「そらそやろ!」と言うと、「ほなええわ」と言って、そのままマンションのある京阪七条駅の方へと歩き去ってしまった。ちなみに言っておくが、私はこういうNやSのような人間が好きでたまらないのである。

 この菊花賞以降のオルフェーヴルの活躍もすさまじいものだった。気性の難しさはありながらその年の有馬記念も制し、翌年(2012年)の宝塚記念も勝つと、日本競馬界の夢である「凱旋門賞」、あのディープインパクトですら勝てなかったフランスの大レースに挑戦し、あわや勝利かという二着に入った。2013年も凱旋門賞で二着に入り引退レースの有馬記念も見事制覇、有終の美を飾ったのだった。「オルフェーヴル」とはフランス語で「金細工師」の意だが、オルフェーヴルは自身の競走馬としての生を不滅の黄金として競馬史に刻み付けたと言えよう。

 2011年オルフェーヴルの次に牡馬三冠馬が現れたのは2020年、あのディープインパクト産駒のコントレイルである。しかし2020年といえば新型コロナウイルスが猛威をふるい、緊急事態宣言も出された年。コントレイルの菊花賞はほぼ無観客で行われ、静かな偉業達成となったのだった(ちなみに牝馬三冠馬は2012年ジェンティルドンナ、2018年アーモンドアイ、2020年デアリングタクト、2023年リバティアイランドとかなりのペースで生まれている)。

 現在、私の生活状況ではなかなか競馬場に出向くことができないが、いつかまたあのオルフェーヴルが巻き起こしたような熱狂の渦を体感できればと願っている。そしてまた、凱旋門賞で勝ち負けできるような日本馬が現れることを心待ちにしている。その時にはどうにかして現地フランスで歴史的瞬間を目撃したいものだが、オルフェーヴルでもディープインパクトでも打ち破れなかった壁を突破する馬が、果たして私の生きている間に現れるだろうか。

 次回連載最終回は7/11(土)公開予定です。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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