2023.1.13
バブル末期の名古屋で起こった、フレンチレストラン最悪の思い出
カフェブームの中で見つけた「小さいパリ」
さて、僕が再び日常にフランス料理を取り戻すのは、その5年後くらいだったでしょうか、2000年前後あたりの話です。
その時代、カフェやビストロといったお店が少しずつ出来はじめました。カフェと言うと、今となってはちょっとおしゃれな喫茶店の言い換え、というイメージがすっかり定着してしまいましたが、当時その概念の中心にあったのは、「パリの街角にあるような、朝から夜までコーヒーもお酒も食事も楽しめるオープンエアの店」でした。なので食事メニューも基本的にフランス料理ということにもなります。ただしそれは、あくまで庶民的なフランス料理。広いお皿を使って複雑かつ華麗に盛り付けられるものではなく、もっとずっとシンプルなもの。豚肉のいろんな部位を焼き固めたパテやテリーヌ、牛ハラミを焼いてフライドポテトを添えたステークフリット、熱々のオニオングラタンスープ、そういうものです。
ビストロはもう少しレストラン寄りで、あくまで食事が主体ですが、主要なメニューはだいたい共通していました。
当時、僕の生活圏にも、そういうカフェやビストロ的な店がいくつかできました。
夕暮れ時に外に面した席で、日が沈んでゆくのを眺めながらパテをつまんでワインを飲んだり、冬の寒い日はオニオングラタンスープで暖まってからペルノ酒を飲んだり。
……そう書くとちょっと気障というかイキってるというか、そういう印象を受けるかもしれませんが、決してそんなわけではないんです。子供の頃からいろいろな食エッセイなどで読んできた、パリの街角の気軽な店、そこの肩肘張らない料理、そういうものがようやく身近な現実世界に現れてきた、そういう感覚でした。
そういった本の中でも、石井好子さんの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』は、僕にとって特に印象的なものでした。そこに登場する――日本における「フランス料理」の一般的イメージとは大きく異なる――庶民的なフランス料理、それまでは想像するしかなかったそれが、カフェやビストロにはしっかりと実在しました。そういうものを、あくまで日常の延長線上の、でも入念にしつらえられた空間で楽しむ、それがカフェやビストロだったのです。
しかし世間一般において、特にカフェの方は、単なる浮ついた流行りものとして扱われがちでした。
「フランスかぶれか何か知らないが、日本の狭い歩道に無理やりせり出して排ガスまみれになりながら、別にうまくもない一見オシャレ風なものを飲み食いしている」
といった揶揄を、当時散々目にしました。そうやってオープンエアのフレンチカフェは流行のファッションとして消費された後、次々と閉店、もしくはスイーツをメインとした「ただのオシャレな喫茶店」へと変容していったのです。
次回は1月27日(金)公開予定です。