よみタイ

あの世とこの世のファジーな境目 第14回 死んでいるのに死んでいない人々——霊媒師家系・猫沢家にまつわる恐怖のリアル怪談

中学校の七不思議をリアル体験

 私が最初に、世間で〝霊〟と言われているようなものを見たのは中学2年生の時だった。私の母校・C中学校には、歴史的な建築物に指定されてもよさそうなほど古めかしい体育館があった(現在は新築されている)。吹奏楽部のパーカッション担当だった私は、毎晩8時ごろまで部室に残って練習するのが常だった。その日も、残り少なくなった最後の部員たちと足早に校舎から出る途中、体育館の前を通らなくてはいけなかった。以前から、なんとなく気味が悪いと感じていたあの体育館の。

 すると、灯りの消えた真っ暗な体育館から、バスケットボールをゆっくり床に打ちつけるような音が聞こえてきた。

 バーン……バーン……バーン……

 それは、ドリブルと呼ぶには開きすぎた間合いの打撃音で、まるで天井までボールを跳ね上げているかのように深く響いた。私は〝電気を消されても練習したいバスケ部の生徒が残っているのだな〟と思い、開いている体育館の入り口を覗き込んだ。すると闇の向こう、ひとりの男子がうつむき加減でボールを床に打ちつけているのが見えた。
〝あゝ……なんだ。やっぱり練習してたんじゃん〟そう思いながら体育館の前を通り過ぎて家に帰った。

 家に帰って夕食を食べながら、「そういえば、今日ね……」と、家族に先ほどの体育館の話をした。「お化けかなあって一瞬、思ったんだけどさ。そんなのいるわけないよね。アハハハ……」私の笑いとは裏腹に、父がめずらしく神妙な顔をして、それまで忙しく動かしていた箸を止め、ハタと置いた。そして、

「それ、生きてなーい」

 えっ?! それ、キレてなーいじゃなく? えっ?!

「今日、おまえが見たのは俺の同級生だ」

 と、カルロス・ゴーン系サン=テグジュペリ瓜二つの顔で言った。

 父の母校も私と同じC中学校で、あの体育館はすでに父の代には建設されていたものだという。父が私と同じ、中学2年生の時だった。父とは別のクラスの体育の授業中、痛ましい事故が起きた。昔の体育館は今に比べると造りがいい加減で、バレーボールやバスケの授業中、高く上がりすぎてしまったボールが天井を突き抜けて、屋根裏から下りてこないということがよくあった。その場合、体育館のステージ横にある空中ドア(普段はハシゴがなく、人が上がれないようになっている天井裏へのドア)にハシゴをかけて、ボールを取りに行かねばならないのだが、父の同級生はその際、運悪く天井を踏み抜いてしまい、落下死してしまったのだという。
 
「体育館にバスケットゴールが4つあるだろ? そのうちのひとつの床板が、何回張り直しても継ぎ目が盛り上がって、転ぶ生徒が続出してるって、この間、おまえ言ってたよな? そいつが落ちたのはあそこだよ」

 ……‼︎ なんと。昭和50年代末の田舎町で育った無垢な中学生にとって、これまでスピといえば、当時のバラエティー番組で観るTHE昭和な心霊番組止まりだったのが、いきなりコレ、現実になった。私の知っているスピの世界とは、青森のイタコがジョン・レノンの霊を降ろすとき、「わだすが、じょん・れのんです。よーごにあいでぇ」と言ってるのを見て思った〝わりと愉快な世界なんだな〟っていう間違った認識だけだった。
 確かに体育館の4つあるうちのバスケットゴールのひとつの真下にある床は、これまで何度も張り替えては盛り上がり、走っている生徒が足を取られるという問題が頻発していた。しかし、なぜそこばかりが盛り上がるのかについては、体育館そのものが古いから、という理由で誰もさほど気にしていないようだった。

1 2 3 4 5

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

猫沢エミ

ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に料理レシピエッセイ『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。
9月、一度目のパリ在住期を綴った『パリ季記 フランスでひとり+1匹暮らし』が16年ぶりに復刊(扶桑社)。最新刊は、愛猫イオの物語『イオビエ』(TAC出版)。

Instagram:@necozawaemi

週間ランキング 今読まれているホットな記事