2022.10.20
悪夢を蘇らせるトラウマスイッチは国境を越えて 第7回 風呂(バス)ガス爆発〜猫沢家の日常で繰り返される、家庭内連続爆発事故
地獄への招待状を受け取った叔父
私が小学生高学年の頃と記憶している。叔父のシロちゃん(仮名)が猫沢家にしばらく身を置くことになった。彼の奥さんが初産のために実家へ戻ったため、男ひとりでは食事もままならなくなり「なんならうちにいらっしゃいよ」と母が快く迎え入れたのだ。これが地獄への招待状とは、つゆ知らずに…… 。
当時の叔父は、地元の公立高校で物理の先生をしながら、民間の物理学者として原子構造の研究に没頭する、一族きっての知性派だった。学者肌でエキセントリックなところもあるシロちゃんだったが、子供の私にはワケワカメな理論物理学の素晴らしさを面白おかしく教えてくれる、歳の離れた兄のような存在だった。
そのシロちゃんが、ある日の夕方、風呂場のある3Fにやってきた……と、ちょっとここで、説明しておこう。猫沢家の稼業は呉服店だが、建物は店舗併用住宅と呼ばれる小型のビルで、1Fが店舗、2F、3Fが住居だった。2Fには20畳ほどの広い座敷があって、展示会の時には、店舗としてカスタマイズできるよう造られていたため、住み暮らす人にとっては、快適さのかけらもないヘンテコな構造をしていた。その上、私が小学校へ上がる頃まで風呂場がなく、近所にある銭湯に通っていた。子供心に風呂がないことを不思議に思った私は、ある日、母にその理由を尋ねてみると「造り忘れたんだって」という、さらに謎めいた答えが返ってきた。造り忘れるって一体……。その造り忘れた風呂を、3Fの広いベランダの一角へ、掘っ立て小屋のように付け足した形で増設したのが猫沢家の風呂場だった。無理くり付け足したものだから、掘っ立て小屋のすぐ横にあった仏間が脱衣場になってしまった。しかも、猫沢家は本家だったため、仏壇が異様にデカい上、天井近くには歴代のご先祖様の遺影がズラリと並んでいた。その目線を感じながら、生まれたままの姿にならざるを得なかった私は「マリー・アントワネットがオーストリアからフランスへ輿入れした時には、国境で素っ裸にされたそうだけど、こんな気持ちだったのか……」と、毎晩のように同情しながら、お寺の本堂にありそうな巨大な鐘を脱衣籠代わりにして、脱いだ服を入れていた。掘っ立て小屋のドアを開けると、左手にトイレがあって、短い廊下を進むと昔ながらの巨大な給湯器と洗面台、その奥に風呂場があった。