2022.9.15
父親のアノ部分を見てしまった親友がつぶやいた驚愕のひとこと 第6回 服と全裸と父・サピエンス〜猫沢家の服コンプレックスを脱ぎ捨てる2022年、夏
サイコーに着物の似合わない外国人顔の面々
1996年、メジャーレーベルからシンガーソングライターとしてデビューした私は、その頃、全盛を極めていた〝渋谷系〟と呼ばれる文化ムーブメントの一角に位置するミュージシャンとして捉えられていた。ファッションに関しても女性アーティストが影響力を持っていたため、毎月なにがしかのファッション誌に私もモデルとして登場していた。レコード会社や事務所のPR戦略のひとつとして、本業の音楽活動の傍ら、こうした露出を繰り返していたのだが、そうするとおのずと読者からは〝ファッションリーダー〟として見られ、さらなるファッション誌の取材が舞い込む、と。しかし、これが私にとって気が重いこと以外のなにものでもなかった。
そもそも、事務所からはなんとか生活ができるギリギリの給料しかもらっていなかったため、実際には服にお金を使う余裕などかけらもなかったからだ。知り合いがプレスにいるブランドの服を、雑誌掲載の宣伝費と見なしてもらい、どうにか安く手に入れて体裁を保っていただけ。それに元来、なるべく服のことを考えずに暮らしたいと思うミニマリストの私にとって、特に必要もない服を撮影のためだけに買うこと自体、苦痛だった。と、おや? 猫沢さんの実家って呉服店ですよね? ええ、いわゆる日本の〝服屋〟ですが、それがなにか?
おそらく、コンプレックスの源はそこにある。猫沢家のメンバーが軒並み日本人離れした顔をしていることは、この連載の第4回でも語られているが、インドカレー屋を営んでいるのであればまだいざ知らず、サイコーに着物の似合わない外国人顔の面々が呉服店を営んでいることへの違和感に加え、そこのひとり娘だった私は、何かにつけて窮屈な着物をモデル代わりに着させられることへの反感でいっぱいだった。学校の友達から「お金持ちでいいわね〜。あんなに高い着物をいつでも着られるなんて」と言われるのもイヤでたまらなかった。その反動からか、普段の洋服も母が選ぶものを拒否して、小遣いを貯め、自分で買ったりしていた。
ある時、真っ赤な生地に呪いのような黒い太陽が渦巻くエキセントリックなTシャツを買った。すると母に「いい! あなたみたいなパンチのある顔には、このくらい派手な服が似合う! これからも人の目なんか気にしないで、派手な服をどんどん着なさい」と言われた。なぜこの時、自分で買ったTシャツを母に見せたのかといえば、買ったのはいいけれどこんなものを着ていったら、悪目立ちして学校でいじめられやしないか? という一抹の不安があったからだ。しかし母がそう言うのなら、きっと大丈夫……と、翌日学校に着ていくと、あっさりその日からいじめの標的となり、クラスのほぼ全員が口を聞いてくれなくなった。それで家に帰るなり、母に「お母さんがいいって言ったこのTシャツ着てったら、みんなに無視されたよ。もう、学校に行きたくない」と文句を言った。ところが母は、謎のアルカイックスマイルをたたえながら「ん、そっか。闘ってこい」と、ひとこと言っただけで、私はその日から数ヶ月にわたり、学校でのいじめに遭い続ける羽目になった。