2022.6.16
新居のアパルトマンから見える高い壁の先にあるもの 第3回 おかしいのは誰だ? パリ最大の精神科病院とYと祖父
祖父の壮絶な戦争体験
1回目にも登場した祖父は、毎年夏になると持病の誇大妄想が酷くなり、家族の手に負えなくなるので精神科病院へ入院していた。戦時中、志願兵として熱帯でのゲリラ戦に参戦し、戦争のむごたらしさをその目で見尽くした祖父の精神は、完全に破壊されてしまった。戦争からもう何十年も経っているのに、彼のなかには自分だけが生き残ったことへの罪悪感でもあるかのように、毎年夏になると生花店へ大量の鉢植えの赤い花を注文し、仏間の床に隙間なく敷き詰め、その真ん中に鎮座し、朝から晩まで祈りの読経を続けるのだった。
祖父の記憶の扉は、夏の暑さが鍵となって開くらしかった。熱帯のむせ返るような湿気を帯びた空気。あたりを埋め尽くす血の海 ––––– 敷き詰められた赤い花々は、彼の祈りの戦場そのものだった。その風景は、まるでピーター・グリーナウェイの映画のセットみたいだったから、私が19歳で初めてグリーナウェイの映画を観たとき、悪夢のようなその世界に慄くどころか懐かしささえ覚えたほどだ。
読経くらいで済んでいれば祖父のフィーバーはまだ許容範囲内だったが、一旦躁状態になると眠ることもせず、真夜中の文具店のシャッターを「いい字が閃いたんだ! 筆をくれ!」とガッシャンガッシャン叩くようになってしまっては、もう家族問題の範疇を越えてしまってアウト。すると、精神科病院からお迎えのバスがやってくる……と、真相はこうだった。ところが、まだ私が幼く事情がよく飲み込めていなかったころは、気がつくと祖父がいなくなっているのだった。祖父と仲がよかった私は、彼がいなくてはつまらないから当然母に尋ねる。すると「あれ、言ってなかったっけ? おじいちゃんはアメリカに別荘を持っていて、毎年夏になるとそこにヴァカンスに行くのよ」。えー?! 初耳。いいなあ! 私もいつか行きたい〜。と、なんの疑いもなく、子どもの私は言ったに違いない。ところが、小学校高学年くらいのある夏のこと。学校から少し早めに帰ってくると、拘束衣を着せられた祖父が担架に括り付けられて〝アメリカの別荘〟に出発するところを偶然見てしまった。
映画「羊たちの沈黙」で、レクター博士が似たような格好をしていたけれども、まさにあんな感じだったと私のなかでは画を結んでいるのだが、実際には、「羊沈」でのシーンがあまりにも祖父にリンクしたゆえ、私の記憶の方がレクター化したんではないか? との不安も残る。しかし、当事者がみな天国へ行ってしまった今では、なにが真実だったのか知る由もないが、母がついた優しい嘘は、その後、私の人生における〝真実がいつも正義とは限らない〟というスローガンになった。ちなみに私は、狂った戦争で病んだ祖父は、至極人間として真っ当な心を持っていたと今でも思っている。
とは言えだ。我が家に光をもたらしているのがパリ最大の精神科病院の広大な敷地と緑。
どこまでもついてくるな……猫沢家め。
日に日に遅くなる夕暮れは、夏の訪れを告げるパリの日常。キッチン側の窓からは、暮れゆく空の薄紫色が見える。その柔らかな光に包まれて、あの病院の高い壁の上で「お〜い、元気か〜」なんて生前と変わらず、のんきな笑顔で手を振る祖父が私には見えてくるのだ。

次回は7月21日(木)公開予定です。
