2022.4.21
祖父とゴッホとフランスと―16年ぶりのパリで故郷の家族を思う 第1回 リヴォリ通りの呉服店
第1回 リヴォリ通りの呉服店
1970年代のパリ
2022年2月14日、2匹の猫と共に再びフランスの地を踏み締めた。16年ぶり、二度目の移住のために。
さかのぼること20年前の2002年。私は、先代の愛猫ピキと共にフランス語を学ぶために移住し、その後4年間アパルトマンを借りて、パリと東京を行ったり来たりしていた。その一度目の渡仏の直前、母が突然、親戚の話をし始めた。
「遠縁のおじさんに、70年代、パリに呉服店を出した人がいるのよ。商売的には大失敗で大損して帰ってきたらしいんだけど、日本文化を広めたっていう功績で、どこかから表彰を受けたって聞いてるけど」(私の実家と一族は、福島県の白河市で代々呉服店を営んでいる)
なにそれ、ほんと? 初めて聞いた。と思った。けれど、さほど驚きはしなかった。それは、我が〝猫沢家〟の人々がこれまでに繰り広げてきた、数々の嘘みたいな伝説からしてみれば、ごく真っ当な部類に入る話だったからだ。しかし、また思い切ったことをしたものだな、おじ上は……。ルーヴル美術館に面したパリの大動脈、リヴォリ通り。70年代、土産物屋が軒を連ねる観光地に、こぢんまりとした店を構えて商売を営んでいるおじの姿を想像してロマンを感じてみたりしながらも、〝猫沢家注意警報〟が脳内で同時発令されていた。