2021.7.2
ブリュッセルのミュージシャンの手作りオープンサンド
そして一年後、本当に日本にツアーに来ることになったと、コンタンから連絡があった。噂のダンを初めて見たのはステージでのこと。私はあっという間に、コンタンがダンに心酔するのも当然だと納得した。ダンは天才だった。私は天才という言葉を乱用するのは控えているし、それに、この人は本当に天才なんだと心から叫びたくなる相手には、きっとこれまで数人にしか出会えていない。だが、ダンのことを知っていくにつれ、天才としか表現できなくなった。音楽面の才能はもちろんだが、性格、雰囲気、生き方、すべてに関して、彼は彼でしかなく、彼にしかつくれないものにあふれた生活をしている。とはいえ、その天賦の才が細部にまで行き渡るダンの生活を知るようになったのは、知り合ってから十年近く経ってからのことだったのだが。
2016年から、私はドイツによく行くようになった。『聖なるズー』に書いた、セクシュアリティ研究の調査のため、現地に長期滞在をしていた。調査はとてもしんどく、私はよく落ち込んだり、塞いだり、なんともいえない苦しい気持ちに苛まれたりした。長期滞在とはいっても、データを存分に集めようとすれば時間はいくらあっても足りない。そうそう休めないので、無理をしてでもドイツ各地を歩き続け、調査に打ち込んでいた。だが、本当にどうしようもなくなると、私はダンに連絡をし、「数日そっちに行きたい」とお願いすることがあった。ベルリンからブリュッセルまでは、高速鉄道に乗って七時間程度。それを長いとも感じないほど、私は毎回、ダンの家に行くときには調査に疲れ切り、数日でも離れたい一心だった。
ダンは最初、私が来たのは、彼の家を拠点にしてブリュッセルを観光したいからだと思っていたようだ。ところが私は家から出ない。したいこともなく、本当に心からダンに会いたかっただけだった。ダンは当時、大きな家に住んでいて、何人かのフラットメイトもいた。来客用にもベッドが残っていたので、私はそれを使わせてもらい、懇々と眠った。
たしか最初の滞在のとき、昼頃むっくり起きてリビングに行くと、「予定は?」と聞かれた。「何もない。明日もない。明後日もない」というと、ダンは「どういうことだ?」というような顔を一度はした。だが私があまりにも眠るので、ダンはそのうち状態を察した。彼のすごいのは、それに対応できてしまい、私を無理に活動させようとしたり、無理に食べさせようとしたりもしないのに、ちょうどよく遊んでもくれることだ。
お茶をしながらオレンジピールをチョコレートでくるんだものを食べ、雑談したり、彼が作ったばかりの曲をピアノで引いてくれるのを聴いたりする。料理がうまいので、なんだかんだと作ってくれて、さっとテーブルにごはんが並ぶ。天気の良い日はテラスに出てハンモックに寝そべりつつ音楽を聴く。そのときダンが与えてくれたのは蚤の市で見つけたに違いない古びたカセットテープの携帯用再生機とヘッドホンで、耳に当てると70年代のフレンチ・ポップスと思われる曲が流れてきた。「いいでしょ」とダンは言う。「カセットテープ! ずいぶんノスタルジックだね」と答えると、「音が好きなんだ」と彼は言った。
ダンはベランダのトマトに水をやり、元気がないことを嘆く。見れば枯れそうだ。明らかに鉢が小さい。「水が足りないんだよ。トマトはたくさん水を欲しがる植物だもの。トマトにはその鉢は狭すぎるでしょ」と私が指摘すると、「去年は元気だったのに」と、頑なに鉢のせいではないような雰囲気を出す。私はヘッドホンを戻して静かになる。彼も長椅子に寝そべって昼寝を始める。
日も落ちてからやっと私に元気が出てくると、夜の散歩に連れ出してくれることもあった。もっと元気があるときは、彼の友だちのミュージシャンのコンサートに歩いて一緒にいくこともあった。私は、やっと、どんな経験をしてきて、なぜいまここにいるかといった、自分の背景をダンに話すようになっていた。私たちは十年以上前に出会っていたが、ちゃんと長く話し、過ごしたのはこの頃が初めてだった。ダンも私にたくさんの話をしてくれた。知らなかったことを、どんどん知り合っていく。