2021.1.29
出汁の香りと白菜の煮物がむっつりイギリス女性を笑顔に変える
それからサリーは打って変わって自然な笑顔を私に見せるようになった。残り数日だからかもしれないとはいえ、手料理が大きく影響したのは間違いない。和食のお礼に、今度はケナンがトルコ料理を振る舞ってくれるとサリーは翌朝、伝えてきた。だから今晩は早く帰ってきてねと。私は「わかった、楽しみにしてる」と答え、すでに入っていた夜の予定を慌ててキャンセルした。
ケナンが何を作ってくれたのか、よく覚えていない。いま、写真を取り出して眺めても、なんなのかよく分からない。だがサリーの料理よりも圧倒的に美味しかったのは覚えている。サリーはこの日の食卓でも、和食にどれほど感銘を受けたか、長い言葉でケナンに説明した。そして私には、白菜の英語名をふたたび聞いてきた。Chinese cabbageを彼女がいずれスーパーで見かけたとしても、そのときには名前を忘れていて、目の前の野菜が白菜とは気づかないだろうと私は確信した。ケナンはサリーの話にただ静かに相槌を打つ。トルコ人の集まる食堂で、とめどなく思い出話を披露した人物とは思えない。サリーが夫手作りのトルコ料理を食べ終え、満足そうに寛ぎ始めると、ケナンは私に「で、これからイスタンブールに行くんでしょ? 宿泊先は決めてる?」と聞いてきた。
私は、Airbnbなどでルームシェアできるところを探して、今日にも決めようと思っている、と話した。するとケナンは、「そんなのはやめて、うちに泊まればいいよ」と言った。「空港から近いところに実家がある。みんな親切だよ。必ず君は楽しく暮らすことができる。絶対にだよ」。
サリーもご機嫌だから、「そうすればいいわ!」と言った。イスタンブールでの当座の寝床が確保できるだけでもありがたいので、私はその申し出を受け入れることにした。ケナンはたぶん、そうとう知恵が回る人だ。この提案をするのも、サリーの機嫌がいいときをしっかり見計らっていたのだ。
サリーとケナンは、バランスがいい夫婦とは思えない。いろんなすれ違いやわだかまりが、ないわけがなかった。だが、ふたりともなんとなくうまくやっている。彼らとの二週間の日々で、私は目の醒めるような体験はしなかった。だが、人間と人間がいつの間にか一緒に生きるようになり、ひとつの空間のなかでどうにかやり過ごしながら日々を生きるということの不思議さや面白さ、面倒くささを感じた。多少の諦めの雰囲気さえ漂っていて、それにも味わいがあった。いま思うに、彼らがそのように生きている背景には、自分の人生において自由にものごとを選びとりたいという強い意志があったはずだと思う。サリーの場合はおそらく子どもを産みたいという確固たる意志。ケナンの場合は、イスタンブールに帰らずにロンドンで商売を続けてみたいという意志ではないだろうか。
チンフォードを出て、イスタンブールへと向かう。空港まで、再びサリーが車を出してくれた。今度は笑顔で彼女は私を送り出した。「また来てね。そして次回はもっと私たち家族と時間を過ごしてくれたら嬉しいわ」とサリーは言った。それは彼女の本心であるに違いなかった。
濱野ちひろさんの「一期一宴」は隔週連載。次回は、2/12(金)配信予定です。お楽しみに。