2020.12.4
30歳差の親友ごはん
そのような状態も数年で過ぎ、いまではハルトは中くらいの大きさの人間になりつつある。すでにいろいろ自分でできてしまう。生意気なこともするし、部分的には大人になってもいて、ときどきは私にアドバイスをくれたりもする。「物書きとして生きていくのは大変だろうから、まずたくさん新聞のインタビューを受けて有名になるべきだし、本屋さんや図書館の棚に、自分のコーナーができるようになるのを目標にするべきだと思う。それにノンフィクションだけじゃなくフィクションも書けるようになったほうがいいよ、“きーちゃん”は」と、半年くらい前には言われた。いくつも難題を突きつけられているが、方向性は間違っていないので言い返せない。
“きーちゃん”というのは、この家でだけの私の名前だ。2歳ごろのハルトは「ち」の発音ができず、ちーちゃんと言えなくて、きーちゃんになった。きーちゃんは彼が私に与えてくれた新しい名前で、彼が生まれたことで私は初めてきーちゃんになった。私はきーちゃんであることを、とても気に入っている。
きーちゃんはときどき、ハルトの家に泊まりに行く。長いときには十日ほども遠慮なく滞在している。ハルトはなんのかのと遊びに誘ってくれるが、体力の差、好奇心の種類の違い、私の根気のなさなどにより、彼が提案する何十もの遊びのなかで一緒にできるものは数種類しかない。だが彼は不屈の精神で私にも楽しめそうな遊びを考え出す。宝探しやしりとりは互角にできた。レゴは私の方が夢中になってしまった。トランプゲームはいつも私が負ける。似顔絵をお互いの顔を見ずに描くという遊びをしたのは何年前だろう。ハルトがぶつぶつと、私の顔の特徴について無意識に独り言をいいながら描いている様を、私は忘れることができない。
そんなハルトがいまから半年程前に、「きーちゃん、俺、ごはん作ってあげよっか」と言った。二人で、iPadでゲームをしながらゴロゴロしていたときだった。私があまり興味を持っていないのを、彼は察知していた。おそらく、食いしん坊の私にもっとも効果があるワードが「ごはん」だと彼はわかっており、それを餌に私の眠気を飛ばそうとしたのだと思う。案の定、私は「ごはん!?」と飛び起きた。「ほんとに? 交換条件は?」。思わずそう確認してしまった。というのも、ハルトは「勉強をする代わりにYouTubeを20分延長」とか、「歯磨きをする代わりに風呂上がりにアイスを食べる」などと取引を持ちかけてくるのが常なのである。ところがその日の彼は、「交換条件? そんなもの、いらないよ」とただ静かに答えたのだった。そのときの横顔は、結構、かっこよかった。ふざけて笑ってもいないのである。「じゃあ、準備もあるし、今日すぐじゃなくて、明日のお昼ね」。冷蔵庫のあまりもので適当にこしらえようというのでもないことに私は驚いたが、顔に出さないように努力した。