2021.4.24
「真面目な夫」と「刺激的な男」両方手に入れて何が悪い? 結婚に飽きた妻のモラルが崩壊した瞬間(第7話 妻:麻美)
不満を募らせた妻の危険な妄想
週末、栗林夫妻の家から帰宅するなり、康介は想像通りの反応を見せた。
「さっきのは何だったんだよ」
麻美は思わずプッと吹き出しそうになる。
大事なインスタグラムのPRの仕事をキャンセルしてまで付き添った、夫の元上司のホームパーティー。まるでペットに餌でも与えるかのように妻好みのジュエリーまで用意した彼の思惑に、機嫌を直した麻美は敢えて釣られてみることにした。
夫が何を企んでいるのか、自分に何を期待しているのか。
これ見よがしにヴァンクリーフ&アーペルのショッパーをぶら下げた夫が視界に入ったとき、単純にその動機に興味をそそられたのだ。
蓋を開けてみれば、失笑するほどの茶番だった。
夫は元上司に憧れ、同じように大手弁護士事務所からの独立を考えている。けれど妻に反対されるのを恐れて、まずは上司の成功例を披露しリスクを抑えようとしたのだ。
――つまんない男。
赤の他人になど頼らず、自分で決めたことなら男らしく一人で腹を括ればいい。
なのに安っぽい根回しをしてまで妻を思い通りに動かそうとする夫は、麻美をとことんシラけさせた。人の助けなしに自分の妻すら説得できない小心男が、独立してやっていけるのか。
だから麻美も試しに言ってやったのだ。私も起業するつもりなんです、と。
「起業なんて、意味がわかって言ってるのか?」
上司にへつらうような笑顔を始終浮かべていた時とは打って変わり、感情的に顔を歪める夫にますます心が冷えていく。
「うーん、あんまり分からないかも」
栗林邸で出されたモエのシャンパンが効いているのかもしれない。麻美はヘラヘラとつい正直に答えてしまった。いや、夫を苛立たせてやりたいだけだろうか。
けれど夫の元上司の妻・華を見て、麻美は一つ学んだ。
彼女はフェムテックの事業を立ち上げた女社長として巷では有名な女性だが、あのくらいの気迫が持てるようになれば、今の窮屈な状況も少しは変わるかもしれない。
今の時代、女にとって仕事とは、もはや自分の身を守るための盾にすら思える。
「本当にいい加減にしてくれよ。そもそも何をするつもりだよ?」
案の定、康介の声には抑えきれない苛立ちが含んでいた。
「どうせ何も考えてないんだろ?あのな、起業っていうのは、若い頃から計画を練って頑張ってきた人間が人生の勝負をかけてするものなんだよ」
背を向けて夫の小言を無視していると、その声は徐々に大きくなる。
「なのに大した経験もない主婦が人前で適当なこと言うなよ。30過ぎて何を今さら……しかも、あんな優秀な人たちの前で恥ずかしいだろ。お前には分からないだろうけど」
――ガシャン!!!
「……っ」
気づくと、キッチンの床でグラスが無残に割れて散らばっていた。夫は言葉を飲み込み、驚いた顔でこちらを見つめている。
「……ごめん、手がすべっちゃったみたい」
「何やってんだよ、危ないから動くなよ」
康介は焦った様子で素早くソファから立ち上がると、麻美の足元にしゃがみこみグラスの破片を処理し始めた。その姿をぼんやりと見下ろしながら、ふと思う。
このまま自分の足を持ち上げて、それで、この男の背中に思い切り振り下ろしたら、どうなる……?
麻美はハッと我に返る。無意識のうちにこれほど残忍な妄想が浮かべた自分が、少し恐くなった。