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不良夫婦

「産まない」選択はできない。セックスレスに傷つき、不倫に走った妻が下した最後の決断(第17話 妻:麻美)

「私、赤ちゃんが欲しい」

康介と離婚するのは、恐らくそう難しくはないと麻美は思っている。

弁護士なら昔のツテでいくらでも見つかるし、離婚に必要な材料もその気になれば集められるだろう。夫からの苛立ちも日に日に増しているように感じるし、大袈裟なことはしなくても、康介も案外アッサリと離婚に応じるかもしれない。そもそも夫婦関係はとっくに破綻しているのだから。

子どものいない夫婦の離婚なんて、未婚カップルが別れるのとあまり変わらないはずだ。とにかく一度、本人に切り出してみないことには何も始まらない。

「……そんなに良かった?」

ぼんやりと薄暗い天井を見つめ考えに耽っていた麻美は、隣に寝そべる晋也の一言で我に返った。何も答えずに恥じらって見せると、彼は強く麻美を抱き寄せる。

「愛してるよ」

当初は晋也という男をそれほど信用していたわけではないし、息苦しい夫婦関係の逃げ道と割り切っていた。しかし彼と過ごす時間は思いのほか居心地が良く、正直なところ、何より身体の相性が抜群だった。

自分がこれほど「女」に戻ったのは実に久しぶりのことで、つい気持ちまで引きずられてしまう。

「麻美とこんな風になったら、もう他の女なんて目に入らないよ」

晋也も晋也で、麻美に執着を見せるようになった。帰り際はいつも拗ねるような態度を見せ、「いつ離婚するの?」「毎日一緒にいたい」などと甘美で際どいセリフも平然と口にする。

ひょっとしたら、結婚相手を間違えたのかもしれない。そんな考えも何度か頭をよぎった。

「ねぇ」

太い腕に包まれながら、上目遣いに彼を見つめる。

「なに?」

優しく頬を撫でられ、つい気が緩んだ。このとき麻美は、康介への不満や出産への焦りでいつもの冷静さも欠けていたのだ。

「私、赤ちゃんが欲しい」

ベッドの上で、その声は妙に鋭く響いた。

「…………」

そして次の瞬間、麻美は自分がいかに愚かな勘違いをしていたか悟った。言葉に詰まった晋也の顔は明らかに動揺していて、怯えるように瞳を泳がせたのだ。

「な、なんてこと言うんだよ麻美……。本当に麻美は小悪魔っていうか、そうやって男をその気にさせて惑わすんだよな」

先ほどまでのムードは一転、晋也はわざとらしいほど陽気に饒舌になる。

彼は一通り当たり障りのないことを一人しゃべり続けると、とうとう身体を起こし「部長に一件メールを打ってくる」とベッドを離れた。

麻美はすっかり冷えた頭で、裸のままバスルームに足を運ぶ。

立場上、これまで晋也のプライベートに立ち入ることはしなかったが、衝動に駆られるまま手当たり次第に戸棚や引き出しを開けた。

安物のピアス、小分けのスキンケア、金色に近い髪の毛。収穫はそんなもので、女にマーキングされていることは晋也本人も気づいていないかもしれない。その程度の女が複数いるのだと麻美は予想した。

――やっぱり、男なんてアテにならない。

寝室に散らばった衣服を身につけながら、麻美は意図的に心を閉じる。

こんな馬鹿げたことで傷つくなんて、時間の無駄だと自分に言い聞かせながら。

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山本理沙

やまもと・りさ●84年 東京都生まれ。日本女子大学文学部卒卒業後、外資系航空会社客室乗務員、金融機関・コンサルティングファームの秘書業務を経てフリーランスへ。
2015年〜2019年に東京カレンダーWEBにて『東京婚活事情』『結婚願望のない男』『東京ホテル・ストーリー』など多数執筆したのち、2020年10月講談社文庫より初書籍『不機嫌な婚活』を出版。よみタイで好評連載中の漫画『恋と友情のあいだで』(里奈Ver.)共著原作者。『不良夫婦』では(妻side)を執筆。

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Twitter●山本理沙/WEB作家




安本由佳

やすもと・ゆか●81年 奈良県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、化粧品会社広報、損害保険会社IT部門勤務を経てフリーランスへ。
2016年〜2020年1月 東京カレンダーWEBにて『二子玉川の妻たちは』『私、港区女子になれない』など多数の連載を執筆したのち、2020年10月講談社文庫より初書籍『不機嫌な婚活』を出版。よみタイで好評連載中の漫画『恋と友情のあいだで』(廉Ver.)の共著原作者。『不良夫婦』では(夫side)を執筆。

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Twitter●安本由佳|WEB作家@軽井沢

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