2021.8.28
妻と間男の密会を目撃…浮気を知った夫が、逆に「離婚はしない」と決めた理由(第16話 夫:康介)
「あんな奴に妻は渡さない」クールな男の、強い嫉妬心
――あんな男の、どこがいいんだ?
一見して、スマートさに欠ける男だった。しかし背が高く、自分とは真逆の筋肉質な体つきだった。麻美の肩を抱いていた太い腕が瞼の裏に蘇り、康介は小さく舌打ちをする。
結婚前の男関係について詮索するような野暮な真似はしてこなかったから、考えてみれば麻美の男の趣味はよく知らない。
だが最後は自分と結婚したのだから、ガタイの良さなんかは求めていないはずではないか。粗野で雄々しい男より、自分のようなクールガイが好みのはずだろう。
――とにかく、あんな奴に麻美は渡さない。
そう考えた瞬間、身震いするほど強い意志が湧いた。気づかぬうちに噛み締めていた唇に痛みが走る。
つい先ほど……瑠璃子と抱き合い部屋を出た瞬間までは、妻に対し苛立ちしか感じていなかった。「麻美とは離婚したっていい」と本気で考えた。抜け目のない女だから、慎重に事を進めなくてはと自分に言い聞かせていたくらいだ。
しかし今や、完全に考えが変わった。
離婚などしてやるものかと思っている。情緒不安定なのかもしれない……だとしても仕方がない。なんせ、妻の浮気現場を目撃した直後なのだ。
「それにしても、櫻井はいい奥さんをもらったよ」
康介の反応が鈍いからか、栗林が急に話題を変えた。
「たくさんいる秘書の中でも人気ナンバーワンだったもんなぁ。美人で愛想がいいのももちろんだけど、素晴らしく気の利く賢い女性だよな。まさに良妻賢母タイプだろ」
何も知らない栗林の言葉に、苦い思いがこみ上げる。しかしそこには微かな自惚れの感情も混ざっていて、康介はそんな自分を乾いた笑いで誤魔化した。
結婚後、麻美は変わってしまった。ただそれは家庭内の話であって、対外的には確かに今もソツのない美しい妻なのだ。そうだ……だからこそ、手放すのは惜しい。
瑠璃子と過ごす甘美な時間も捨て難いが、だからといって彼女に麻美の代わりは務まらない。麻美はやはり、自分にとって必要な女なのだ。
しかし「良妻賢母」には失笑するしかない。実際はむしろ不良妻だというのに。しかしそんな康介の反応を謙遜と受け取ったようで、栗林はなおも続けた。
「そういや麻美さん、起業すると話してたよな。何のビジネスだ? 彼女は“持ってる”女だから、何をしてもうまくいきそうだけど」
愛想笑いで流しておくつもりだったが、このセリフにはさすがに反論したくなった。
康介に対しては「独立は慎重に」などと言っていたくせに、麻美は何をしても成功する、だって?
「いや、それは買いかぶりすぎです。エステを始めるとか言ってますが、そもそも栗林さんの奥様とは違ってキャリアウーマンの器じゃない。僕としては家にいてくれた方がよっぽどいいのに」
「古い男だなぁ」
後輩の発言を、栗林は豪快に笑い飛ばした。そしてすぐ真顔に戻り、グイと身を乗り出すと康介の目を真っ直ぐ見つめた。
「櫻井。他人をコントロールしようなんて無理な話だよ。妻であっても同じだ。それに、夫婦は必ず同じ方向を見なくちゃならないなんていうのも、もう時代に合ってない」
「それは……」
――気鋭の女社長を妻に持つ、栗林の価値観にすぎない。
そう言おうとしたが、途中でやめた。麻美も同じように女社長を目指している時点で、自分も栗林と同じ立場であると気づいたからだ。
「それにお前、独立するにしても別の事務所に移るにしても、今の事務所を辞めれば確実に年収減るぞ。彼女がその分稼いでくれたら助かるじゃないか」
いや……そんなことは、まったく求めていない。しかしこれもやはり言い返せなかった。