2021.6.19
「朝まで帰らない夫に連絡できない」妻のプライドと葛藤、帰宅した夫のチープな言い訳(第11話 妻:麻美)
美しく生まれて、男に愛される。「自然の摂理」に身を任せた不良妻
「好きだよ、麻美」
耳元でそう囁いた晋也の顔を、麻美は彼の腕の中からそっと見上げで微笑んだ。
「私も」
少し前に晋也と再会した時から、いずれこうなることは予感していたものの、こうして一線を越える前は少しばかりの不安も感じていた。
夫への罪悪感や自己嫌悪に襲われるんじゃないか。後悔はしないか。世間的なタブーを犯すのだから、それなりのリスクも負うだろうし、晋也に遊ばれる可能性だって十分にある。
人妻という身分で他の男と関係を持つなんて、どれほどの悪女、あるいは下品な女に成り下がるのかと思っていたが、別に大したことはなかった。
在宅勤務中の晋也の麻布十番の部屋に忍び込む時も、パソコンを閉じた彼に服を脱がされる時も、躊躇いは一切感じなかった。美しく生まれて、男に愛される。自然の摂理に身を任せるのはかえって清々しい気分だった。
婚姻制度に背いたところで、強盗や殺人などの重罪とは違う。誰に追いかけ回されることもないし、牢屋に入れられることもない。バレさえしなければ誰にも迷惑はかけないし、自分は夫とは違い、あからさまな態度を取ったりもしない。
「本当に可愛い」
晋也はそう言って麻美の顔をそっと撫でながら、何度も唇を押しつけた。
麻美は「くすぐったい」と身をよじりながらも、事が済んだ後も自分を丁寧に扱う晋也に満足していた。夫とは違う野生的な彼の身体も刺激的で気に入った。それにきっと、いくら時間や費用をかけたところで、男に愛される以上に効果のある美容法なんて他にない。
結局のところ、デメリットは何もなかったのだ。世間でこれだけ不倫が流行る理由を麻美はようやく理解できた。
「それにしても麻美はすごいな。普通は家庭に入ったら凡庸になる子が多いのに。インスタのカリスマだけじゃなくて、次は経営者になるんだ」
「……まだ計画中。でも、早く実現できたらいいな」
実は晋也と会う前、麻美はさっそく物件の調査に繰り出していた。今はコロナ禍の影響で普段は滅多に出回らないテナント物件にちらほらと空きがあるとセラピストの由紀から聞き、いてもたってもいられなくなったのだ。
「そういう時って、やっぱり旦那がお金出してくれるの?」
「……え?」
突然の無神経な言葉に、麻美は一気に現実に引き戻される。
「いや、だってさ、そういうものかと思っただけなんだけど」
少し腹立たしかったが、「あの人は関係ないの」と小さく微笑んでおいた。実際、夫を頼る気はなかったけれど、資金だけが問題だ。麻美の独身時代の貯金を崩せばどうにかなりそうだが、決して余裕はない。
「ふぅん……俺だったら、麻美みたいな奥さんならいくらでも金出しちゃうよ」
そう言った彼の太い腕に抱きしめられたとき、麻美はたしかに自分にはその権利があると思った。
苦労して自分で費用を工面したところで、どうせ外からは夫の金を使ったように見えるだろう。そもそも康介も独立だの女遊びを楽しむなら、これまで散々“妻業”をこなしてきた労いとして開業資金くらい援助してもらうのは当然だ。
そして交渉するなら、彼が不用意に朝帰りをした今が絶好のタイミングに違いない。
「そろそろ行かないと」
麻美は晋也の腕をすり抜け、散らばった服を身に着けると、名残惜しそうな表情を見せてくれる彼に感謝しながら自宅へ戻った。
途中でスーパーに寄り、夕飯用に再び夫の好物の鯖を買う。
開業資金、1,000万円。それは何としても夫に出させる。麻美はそう決意した。
一筋縄ではいかないだろうが、ならば夫の不実を突いて離婚をチラつかせてもいい。一応弁護士なのだから、財産分与の痛手は嫌というほど知っているはずだ。
他の男に抱かれると同時に、夫に金をせびる。本当に酷い不良妻だと自分でも思ったが、そうさせたのは康介なのだから仕方がない。
麻美は鯖の臭みを丁寧に処理しながら、首を長くして夫の帰りを待った。
(文/山本理沙)
※次回(夫:康介side)は7月3日(土)公開予定です。