2021.6.5
「この結婚は失敗だった」…自慢の妻に幻滅したエリート夫が初めて離婚を意識した理由(第10話 夫:康介)
妻に幻滅……夫が初めて「離婚」を考えた理由
翌朝になってようやく帰宅した康介を、麻美は無言のまま迎えた。「おかえり」とも言わない代わりに「誰といたの」とも「何してたのよ」とも聞かなかった。
まだ8時になる前だというのに、彼女は身支度を完璧に終え、白シャツ姿でコーヒーを淹れていた。もちろん康介のためではない。自分が飲む分だけを丁寧にドリップしているのだ。
「連絡せずごめん。弘樹と飲んでたんだ。ほら、新婚のころ家にも遊びに来ただろ。学生時代の友達。急に誘われちゃってさ……」
聞かれてもいないのに大声で弁明し、喋りすぎた気がして黙る。しかし麻美はこちらを一瞥しただけで一言も発さず、表情一つ変えなかった。
妻の深夜帰宅を責めたばかりのタイミングで、朝帰りしてしまった。
嫌味の一つくらいは覚悟していた。しかも康介には完全にうしろめたい事情がある。鉄壁のアリバイを築くため、学生時代の悪友にLINEを送り、口裏合わせの依頼までしておいたというのに。
――この女は、もう自分にまるで興味がないのではないだろうか?
もはや口に出して聞くまでもない。麻美は、夫がどこで何をしていようが気にならないのだ。だからこそ夜遊びを続けるし、康介が嫌がるのを知っていて起業するなどと言い出すし、夫の朝帰りよりドリップコーヒーが大事なのだ。
そう思ったら、心に寒々とした風が吹いた。そして、その隙間を埋めるかのように、瑠璃子の囁き声が耳に蘇った。
『先生、大丈夫よ。私……秘密は守るから』
本当は、深夜のうちに帰宅するつもりだった。しかしベッドをすり抜けようとした時、瑠璃子が腕をギュッと抱きしめ「行かないで」と止めたのだ。そのいじらしさを、邪険にはできなかった。
「私、このあと出かけるから」
妻は乾いた声でそう言い、ぼんやり立ち尽くす康介の横を素通りした。そして、何やら高級そうなグラノラやフルーツをテーブルに並べ、優雅に朝食をとり始めた。
そんな妻を、康介はまるで別世界の住人のように眺める。
結婚後ずっと、和朝食が康介の定番だ。朝帰りしておいて作って欲しいなどと言うつもりはないが、まるで一人暮らしのように振る舞う妻には釈然としない気持ちが残る。
この家も家具も食器も、言うならば麻美が食べているグラノラだって、康介の稼ぎで購入したものだというのに。
――この女と夫婦でいる意味って、なんだっけ……。
康介の頭に、この瞬間、初めて「離婚」の2文字が浮かんだ。
(文/安本由佳)
※次回(妻:麻美side)は6月19日(土)公開予定です。