2021.3.27
「暇」に縛られ不自由になる美人妻の苦悩。優雅な生活に満たされないまま、昔の男に再会した夜(第5話 妻:麻美)
すべてが鼻につく。夫への嫌悪感が止まらない理由
「誰といたんだよ」
帰宅後、妻に訝しげな視線を向けた夫に、麻美は酷い鬱陶しさを感じた。
「なんだよ、その服は」
分かりやすく無視しているのに、夫はめずらしく食い下がる。
いつもならもっと上手くあしらえただろう。冷えたビールをグラスに注ぎ、冷蔵庫の中のちょっとしたつまみを添え「梨花と話し込んで遅くなっちゃったの」と申し訳なさそうに微笑めばいい。そのくらい造作なくできるはずなのに。
「夫が妻に誰といたのか聞いちゃいけないのか?」
康介の言葉は、さらに麻美の神経を刺激する。
妻の行動にも服にもほとんど関心を示さない夫が、なぜ今夜に限ってしつこく追求するのか。
ーーああ、鬱陶しい。
振り向くと、苛立ちを露わにした夫の顔があった。
すでにビールで酔っているのか表情に締まりはなく、髪も乱れている。見慣れた地味な部屋着姿も、脱いだままソファに放置されているシャツも靴下も、すべてが鼻につく。
適当に流せばいい。頭ではわかっているのに、夫への嫌悪感が抑えられない。理由は明確だ。つい先ほどまで隣にいた晋也と夫を比べているから歯止めが効かないのだ。
「友達といたに決まってるでしょ。梨花よ、梨花。これでいい?」
自分でも驚くほど挑発的な声が出たことに驚きながら、麻美は急いでバスルームへ逃げた。
ーー次は二人で食事しようよ。麻美の話が聞きたいからーー
湯船に浸かりながら、麻美は晋也の言葉を反芻していた。
言葉だけでなく、食事中もタクシーに乗る帰り際も彼はごく自然に何度も麻美の身体に触れた。その感覚はまだ残っている。
彼の好意の向け方はあまりにあからさまで、悪友の梨花ですら「まさか二人、デキてるの?」と眉を寄せたくらいだ。
けれど晋也はまったく悪びれる様子もなく「俺の麻美への片思いは年季入ってるから」と笑いに変えた。
晋也と出会ったのは独身の頃、もう5年近くも前のことで、「麻美に会いたいって男友達がいるの」と梨花に引き合わせられたのがきっかけだ。当時読者モデルをしていた麻美のスナップをどこかのWEB記事で見かけ“一目惚れした”というのが彼の言い分だった。
代官山の実家、帰国子女、慶應内部生、総合商社勤務。ここまでの肩書きが揃う男はプライドが高いうえ、かえって面白味に欠けると思っていたし、もともと麻美は家柄の良い男にはあまり興味がなかった。
生まれ持った環境にあぐらをかき、いまいち野心が足りない傾向にあると思っていたからだ。
けれど晋也は違った。
育ちの良さを纏いながらも彼の目は常に狡猾に光っていて、“お坊っちゃま”特有の無防備な隙がない。計算され尽くしたデートも口説き方も、女を丁寧に扱っているようで、実は蔑んでいるような際どさがあった。
女を幸せにできる男ではない、というのはすぐに分かった。同時に彼の内側に漂う闇のようなものに強烈に惹かれ、そして理性でその感情を制した。
案の定、晋也には他の女の気配があったし、さらに相手は水商売の女だとか人妻だという噂まであり、彼が何らかの理由で“何か”を欠落した男であるのは明らかだった。
結婚適齢期の女が、この類の男に時間を使う余裕など一切なかったのだ。
でも、今なら。
シャワーを済ませると、麻美は濡れた身体のままバスルームに持ち込んだスマホに手を伸ばす。
『今日は会えて本当に嬉しかったよ。来週、時間作ってくれる?』
そこには確信していた通り、晋也からメッセージが届いていた。