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陰キャが勝ち取った幸運?「人見知り克服養成所」店番の米澤成美さん監督作品『ちくび神』を見に大阪へ…

「そこだけマウスを使って操作してるんですよ」

パチ屋の先輩から語りえないものとして扱われてしまった僕は、すぐ隣にいて一番話しかけやすい店番の女性と話をしようと思った。先ほど、鮮やかな黄色をしたロジクールのBluetoothマウスをクリックしていたのが気になっていた。店の壁の隅に23インチほどのテレビが設置されていたから、

「そのマウスであのテレビを操作してたんですか?」

と聞くと、

「あっ、いえいえ。スマホの画面が割れちゃってましてね、上の方だけ指で押しても何も反応しなくなっちゃったもんだから、そこだけマウスを使って操作してるんですよ」

店番の女性はテーブルの上に置いてあったスマホを手にして画面をこちらに見せながら、画面の一番上の列にあるアプリのアイコンを指でタップした。確かに、画面の上部の1割ほどに少しヒビが入っているせいで、アイコンを指でタップしても反応しなくなっているのが窺えた。それから店番の女性がテーブルに置かれたマウスを動かすと、スマホの画面の中にある黒いマウスポインターが蠢き、マウスをかちっとクリックすると、指でタップしても開かなかったアプリが開いた。店番の女性がどうしてBluetoothのマウスを動かしていたのか、その予想外な理由を知った瞬間、自分が見えていなかった世界の一面を目撃させられたときにしか生じ得ない衝撃が走った。それは、小説を読んでいるときに世界を一変させてしまうような一節に出会ったときの気持ちに近かった。そのような小説の一節が時に日常の言葉の使い方が壊れたところから立ち上がってくるように、スマホの画面が割れて通常の操作ができなくなったところから立ち上がってきたのが、スマホをBluetoothのマウスで操作するその店番の女性の手の動きだった。

「すみません、お姉さんはゴールデン街で働いてるとき以外は、何をされてるんですか?」

自分の知らない世界を知っているこの人が何者なのか、気になってストレートに聞いてしまった。

「普段はねぇ、役者をやってるんですよ」
「そうなんですね。なんか、所属とか調べたら出てきます?」
「前は事務所に所属してたんだけどねぇ、今はフリーでやってるので、米澤成美、って名前で調べてもらえたら、出てくると思います」

スマホでブラウザを開いて「米澤成美」で検索をかけると、検索結果の一番上に「米澤成美 – Wikipedia」のページが出てきた。初対面でいきなり色んなことを根掘り葉掘り聞くよりも、Wikipediaで公開情報を見る方が失礼に当たらないかと思い、Wikipediaのページをタップした。しかし、本人を目の前にしてWikipediaのページを黙々と読みはじめるのもそれはそれで失礼に当たるような気もしたので、「ちょっとWikipedia見てもいいですか?」と了承を取ってから、経歴の最初のところだけ読んだ。

米澤 成美(よねざわ なるみ、1987年12月24日 – )は、日本の女優・映画監督である。本名同じ。愛称はよね牛。 岩手県紫波郡出身。フリーランス。東洋大学卒業。身長154cm。

略歴
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小学5年生の時に学習発表会で「寿限無」の劇をクラスでやることになり、「泣く女の子その1」という役を演じた。一生懸命やったらクラスの子たちからの評判がよく、そのことが役者になりたいと思った原点。それまでは人見知りで緊張すると話せなくなってしまう状態だったが、「寿限無」をきっかけに周囲から話しかけられ、コミュニケーションをとれるようになり「なるこちゃん」というあだ名も付けてもらう。

人見知りを克服した人はここにいたのか、と思った。Wikipediaの下の方にTwitterアカウントのリンクがあったのでタップすると、「米澤成美 @映画ちくび神!6月18~24日」というアカウント名のページに飛んだ。

「ちくび神って映画に出てるんですか?」
「ちくび神は私が監督してる映画なんですけどね、出演もしてますね」
「そうなんですね、どこで上映するんですか?」
「6月に大阪の十三というところにある、シアターセブンさんで上映するんです」
「東京では上映しないんですか?」
「3月に池袋のシネマロサってところで上映したんだけどね、今のところはもう大阪以外で上映する予定はないですねぇ」

こういう映画は上映の機会があるうちに見に行かなければ一生見る機会がなくなってしまうかもしれないので、大阪まで見に行こうと思ったが、まだ1か月以上も先の話だったので、「見にいけたら行きますね」と約束をすると、

「すいません、お会計お願いします」

パチ屋の2人組と盛り上がっていたカップルがお会計をして出ていった。

「お兄さん、常連さんですか?」

左を向くと、カップルがいなくなったところへ詰めてきたパチ屋の後輩が少し緊張した面持ちでこちらを見ていた。

「いえいえ、今日初めてこの店に来ました」
「そうなんですか、すごい落ち着いてるので、常連なのかと思いました」

バカと天才は紙一重と言われるが、人見知りと常連も紙一重のようだった。

「YouTubeちゃんねる、登録しておきましたよ」

と伝えると、

「マジっすか!これで登録者6人になりました!ありがとうございます!」

パチ屋の後輩は素直な笑顔を浮かべた。

「お姉さんは最近、いつセックスしたんですかぁ!?」

後輩が発する素直な雰囲気を台無しにするように、パチ屋の先輩が米澤さんに向かって大声で言った。ひどいセクハラだ、と思ったが、「そういうこと言うのよくないですよ!」と言えるほど自分は飲み屋にも慣れていないし、そもそもそういう対応が正しいのかすらわからなかった。それに、まだ飲み屋での飲み方がよくわかってない自分よりも、店番を長くやってる米澤さんの方がこうした対応は慣れていると思った。

「いえいえ、私は引きこもりなので、そんなそんな」

米澤さんがパチ屋の先輩に応答したあと、

「もう一杯どうですか」

と、僕のグラスを指さして聞いてきた。タイミング的に、あんな横暴なセクハラ発言を言ってくる人だけが店に残られるのが嫌だと思っているのかもしれなかった。いや、それは僕が自分の欲望を米澤さんに投影してしまっているだけであり、ただ単純に、もう少し話がしたいと思ってくれているのかもしれなかった。いや、それだってあまりに楽観的な思い違いであり、飲むなら居ろ、飲まないなら帰れ、という飲み屋の店番の人であれば取るべき当たり前の態度をとられただけかもしれなかった。

「もう一杯飲みませんか」

そう聞かれただけで頭の中に複数の解釈が生まれてしまう自分の自意識は情けないものだと思うが、唯一の救いがあるとすれば、どの解釈であっても次のお酒を頼むことが間違いにはならないということだった。

「じゃあ、レッドアイお願いします。よかったら、米澤さんも飲みますか」
「レッドアイって、なんでしたっけねぇ」
「ビールとトマトジュースだと思います」
「おぉ、なるほど。私もそれにしましょうかね。どんな味するんでしょうねぇ」

米澤さんとレッドアイで乾杯し、閉店の3時近くまで、そのまま4人で時間を過ごした。帰り際に米澤さんにLINEを交換してもらった。

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新刊紹介

山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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