よみタイ

チャオプラヤー川のディナークルーズ 国辱的オヤジの姿は消えたけれど

認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!? 介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない! 直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。 前回まではこちら→https://yomitai.jp/series/gangakita/

介護のうしろから「がん」が来た! 第22回

 やはり体調が元に戻っていないのかな、と首を傾げた。  
 初日に食べた、シャングリ・ラホテルのタイ料理レストランの料理が、むやみに甘い。ひどく油っぽく香辛料の香りもしない……。失礼ながら、まずい。
 宿泊先ホテルのブッフェも、阿房宮のようなショッピングモールに入っているレストランのバンコク料理も、なんだこりゃ?の食事が続いていた。
 
 軽く考えていたがやはり病気をした後なのだ。胸の痛みも重苦しさも続いている。元気に見えても食欲は元通りというわけにはいかない。自棄やけと意地でここまで来てはみたけれど、やはり旅を楽しめる状態ではなかったのだ、と反省しかけた頃、原因は自分の体調ばかりではない、と気づく。
 
 それまでバンコクに来るたびに、一度はディナークルーズ船に乗っていた。
 暗い川面をイルミネーションも華やかな大型船が、甲板から大音量でディスコ音楽を流しながら上り下りするのはチャオプラヤー川の風物詩のようなものだが、私はそうしたブッフェ形式の船ではなく、古い時代の米運搬船を改造した木造船の「マノーラ・クルーズ」を気にいっていた。
 乗客定員はごく少なく、川風に吹かれて、薄暗い甲板からライトアップされた寺や仏塔を眺め、静かにワイングラスを傾けつつ、一品一品運ばれてくる宮廷風タイ料理を堪能する。なかなか大人な観光のはずが、七年ぶりに乗ってみると、ちょっと様子が変わっていた。 
 
 熟年夫婦や中年女子会、現地の若い女性を連れた日本のオヤジたちと、やはり現地の女性連れの不良ガイジンといった以前の客層が、中国から来たファミリーたちに取って替わられていた。
 子供から年寄りまで含めた一族郎党の飲めや歌えの大騒ぎに、灯りを消しての「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」は、うるさいが健全で、買った女を同伴させる国辱的スケベオヤジの行状よりはるかに好ましく、微笑ましいものだったのだが……。

 アミューズの後、船上のウェイターたちの動きが、俄然、慌ただしくなった。活気があるというのか、乱暴というのか。「2980円飲み食べ放題」の雰囲気だ。
 一気に料理が運ばれてくる。皿が大きい。大皿が狭いテーブルいっぱいに並ぶ。取り皿やグラスを置く場所も無い。料理はどれも甘く、量が多く、片栗でどろどろしていて油っぽい。

 思い出した。さる日本の温泉旅館で、広いテーブルいっぱいに皿が並ばないと満足しない中国人観光客の嗜好に合わせ、順番に出すのはやめて、いっぺんに料理を運ぶようにした。相手の嗜好や文化に合わせたおもてなしこそが接客の基本、という話だった。
 とはいえ一族郎党のテーブルの、目を凝らせば長幼の序をきちんとわきまえたド宴会を横目に、明らかに質より量重視の、中華風タイ料理ともタイ風中華料理ともつかないものを食べさせられていると、少数派は客じゃないのかというぼやきも出る。

 

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。
撮影:露木聡子

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