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京大経済学部志望のあまりに危険な戦法──数学ブンブン丸・片平【学歴狂の詩 第11回】

「京大トークを横で聞いて辛かった」

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 すると女の子たちは少し振り返って「いや、私はいいかな」「うん、私も帰る」などと冷徹につぶやき、また駅へと爆進し始めた。私たちはそれまでよりさらに深い無力感に苛まれながら、ズンズン開いていく女の子たちとの距離を埋める気にもならず、肩を落としてダラダラ歩いた。

 合コンというのはこんなに苦しいものなのか、と私が世間の厳しさにおののいていると、片平は唐突に「俺、やっぱ京大受けるわ」と言った。「はあ?」と私と京大経済が言うと、片平は「やっぱ、お前らは京大やから自然に京大トークしてたけど、それを横で聞いてるとつらかった」と本当につらそうにつぶやいたのだった。まさか女の子からの扱いよりも、私と京大経済の男との、合コン中特に意識せずにしていたらしい京大トークに傷つけられていたとは思わなかったのだが、もし自分が逆の立場だったとすれば同じ気持ちになっていたかもしれない。中島義道の『差別感情の哲学』という本には、社会的上位集団に属する人間の差別感情について触れた次のようなくだりがある。

 ある男が出身校の慶応大学を愛しているとしよう。(中略)最も差別構造の「完成された」形態は、ほとんどが慶応大学出身者であって、わずかに三流大学出身者が混じっている席である。そして、慶応ボーイたちが臆面もなく、大学の思い出話に花を咲かせるときである。
(中島義道、『差別感情の哲学』、講談社学術文庫、148-149)

 そもそも中島義道氏が東大卒なのに例に慶応を使っていることに小狡さを感じないでもないが、それはとりあえず措くとして、とにかくここで慶応ボーイたちは慶応がいかに優れた大学だったかではなく、いかに「ひどい」大学だったかを語ることで、罪の意識なく「誇り」を噴出させ人を傷つけてしまうのだと中島は言う。名門大卒の人間なら、確かにその構造の強化に加担してしまった場面をいくつか思い出すことができるのではないだろうか。もしかすると、片平は私たちの話をそんな風に感じて傷を負ったのかもしれなかった。

 その後、片平から「俺は同志社をやめるぞ、ジョジョーッ!!」というメールとともに、「F」という成績表のアルファベットがデカく映った写メが送られてきた。Fの意味は正確にはわからなかったが、何か大事な単位でも落としたのだろうとは思った。ただ、一回生の前期で一つ二つ単位を落としたところでおそらく大したことはないし、必修でも再履修があるに決まっているので、私は彼を慰留した。彼の一浪時の感じからして、結局数学ブンブン丸としての本質は変わらないだろうから、京大を受けるにしてもまた数学の難易度に大きく左右されてしまう、その結果再び同志社ということも考えられる……私は大体そんなことを言ったが、片平は聞く耳を持たなかった。それから片平は同志社をやめ、翌年の京大入試に臨んだ。そしてあっさり落ちた。だが、今回は早稲田に合格していたので、ある程度納得して受験を終えることができたようである。

 私は片平が東京に行く前に一度会って、一緒にお別れの「LOVE YOU ONLY」を歌ったが、それ以降は一度も会っていない。今うまくやれているのかどうかもわからない。だが私の浪人生活、そして大学生活の初期に、彼という存在が彩りを添えてくれたことは間違いなかった。人生において、ある時期に親しかった人間と疎遠になることはよくあることだ。そこには寂しさもあり、どこか空しさもある。しかし、現在のつながりと過去のつながり、現在の時間と過去の時間、そこに実は優劣はないのではないかということを、私はたまに考える。若い大学生だった私が「LOVE YOU ONLY」を肩を組んで歌った相手は片平だけであり、その私を知るのは片平だけなのだ。そのことに何か意味があるのかといえば、ないかもしれない。

 だが、私はこの連載で浪人時代のことを書こうと思うまで片平のことをほとんど忘れていたのに、書き始めるや否や記憶が一挙に蘇るのを感じた。そしてまた、片平を通じて自分自身の過去も次々に思い出されてきたのである。おそらくだが、私が再び実際に片平と出会うことがあったとすれば、これと同じことがより高いレベルで起こるのではないだろうか。つまり、ある人間と実際に過ごした時間が――他愛ない時間であったとしても――自らの内に驚くほど鮮明な刻印を残しているのだ、という気づきを得ることが。そしてその鮮明さは、場合によっては「現在」と区別する必要がないほどなのではないか?

 最後にめちゃめちゃ俗な受験の話をつけ加えさせていただくと、片平だけでなく、私自身や他の友人知人を見る限り、京大ギリギリ落ちが同志社や立命あたりに行くとなった場合、ほぼ闇落ちする。そこから復活した人間もいるのかもしれないが、はっきり言って何歳になっても完治は難しいという印象がある。この連載を読んでくれている関西在住の京大受験生の方にアドバイスしておきたいのだが、騙されたと思って絶対に早慶を受けておいてほしい。「俺は絶対京大に受かるし、疲れるからいらん」と言っているあなたは地獄を見る可能性がある。本当に、本当に早慶だけは受けた方がいい。どこかの進学校で洗脳された旧帝主義者のあなたは私立というだけで馬鹿にするかもしれないが、早慶を本気で馬鹿にできる人間など世間に出ればほとんどいない。そして就職もかなり強い。さらに、私にはわからないが、「東京」で過ごすことのアドバンテージが大きいと語る友人知人も少なくない。そしてまた、早慶を受けた上で落ちたのであれば、それはそれで少しは納得して関関同立に通うことができるだろう。これは一人でも精神を完全破壊される者を減らすための、私からのお願いである。

 次回連載第12回は5/16(木)公開予定です。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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