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ノートにappleと延々書き続ける東大文一志望の大物受験生・永森【学歴狂の詩 第6回】

「眠眠打破」を飲んだ10分後に爆睡

 そうして私たちは永森を内心恐れながらもバカにする日々を過ごした。永森は休み時間によく自習しており、家でも夜中まで勉強していたようで、授業中に寝ていることも多く先生に怒られまくっていた。その姿からは、完全に高校の勉強を無視していることが読み取れた。私は、もしかすると永森はこの高校の指導方針に見切りをつけ、自分で開発した受験術に則って東大を攻略しようとしているのではないか、と疑いもしたのだった。

 ある日、永森は授業中に寝過ぎてあまりに怒られるので、眠気覚ましドリンクの「眠眠打破」を買ってきて教室で飲んでいた。その直後、私たちはまたも驚嘆させられた。なんと、永森は眠眠打破の空瓶とキャップを机の上に置いたまま、授業中に大いびきをかいて眠り始めたのである。これには私たちも笑うしかなかった。しかし、眠眠打破をみんなの前で豪快に飲み干し、その空瓶を隠そうともせずその十分後に寝るなんて恥ずかしい真似が、一体他の誰にできるだろうか? この時もまた、私は永森という人間の放つ得体のしれない大物感に恐れを抱いていたのだった。

 しかしながら、永森の成績のほうは一向にゴレンジャイだった。あまりにも成績がヤバいため、永森のオカンが学校にやってきて「特進から一般にコースを変えてほしい」と頼み込みに来たこともあったらしい(ちなみに却下された)。そのまま高三の終盤になってもゴレンジャイだったので、私たちもさすがにもうあきらめるだろうと思っていたが、永森は力のこもった目で「東大文一」と言い続けた。その時点では、私たちもさすがにコイツはもうないな、と思っていた。模試の成績を見ると、東大はもちろん関関同立も、回によっては産近甲龍もE判定で、いくらなんでもそこから数か月で追い上げに成功することはありえない。

 しかしその頃、永森の実態を近くで見ていない隣のクラスの東大文一原理主義者・内山が、「永森はまだ東大文一と言ってるのか?」と私に探りを入れてきたことがあった。私はその時、やはり永森の大物感というのは驚異的なレベルに達しているな、と感心したのだった。

 結局、永森の東大の夢を打ち砕いたのはセンター試験だった。センターが五割ちょいとかだったので、普通に足切りを食らったのだ。私も大爆死したセンター試験だったが、さすがに足切りにかかるようなレベルの死に方ではなかった。みんな「ボーダー」が何点なのか、という話をしている中で、「足切り」という言葉を発していたのはおそらくクラスで永森一人だけだったと思う。

 結果として永森は浪人し、私も浪人することになった。永森は河合塾で私は駿台だったのだが、なぜかこの頃から私と永森は急速に仲良くなっていった。きっかけはよくわからない。永森は河合塾に入るにあたって国公立コースに入れてくれとオカンに頼み込んだが、オカンに「夢見んのもええかげんにせえ!」と怒られて私立文系コースにブチこまれていた。しかし永森はその頃、私と同じ京大法学部を狙うと決めていたので、河合塾の講義はほとんど受けず、自習室で自力で京大対策をしていた。しかし相変わらずE判定を連発するので、私は永森に何度も何度も「さすがに京大は無理やと思う」と諭したが、永森の目はやはりらんらんと輝いていた。

 第一回の京大模試が行われる頃、永森から私に連絡があった。「俺は駿台の京大実戦を受けるつもりだが、これを受けていることがオカンに知られるとまずいので、結果の送付先をお前の住所にしてもいいか?」ということだった。模試のためのお金は小遣いを貯めてすでに用意してあるという。私はまあ、一度受けてみればあきらめもつくだろうと了承して住所を伝えた。その結果、やはり永森は圧倒的E判定を叩き出した。その京大実戦は私史上最高の順位で、優秀成績者の冊子にも名前が載ったので、いい機会だと思い永森と解答用紙を並べて比較してみようと誘った。永森がどれだけヤバい点数を取っても全然あきらめないので、私も若干腹が立っていて、さすがに私の最高傑作の解答用紙を見せれば降参するだろうと思ったのだ。しかし、永森は私の解答を見てもビクともせず、「お、数学の大問1は俺の勝ちやな」と言った。京大文系数学は大問が五題、一題三十点の百五十点満点だが、そのとき私は大問1で細かいミスをして二十五点、永森は満点の三十点だった(そして、永森は他の問題で一点も取っておらず、合計点もそのまま三十点だった)。いや、この問題に関してはそうやけど、合否は総合点で……と私が言っても、永森は「大問1に熱中するあまり時間が足りなくなったが、スピードを上げれば十分いける」などと言い出す始末だった。

 結局、再び永森の夢を打ち砕くことができたのはまたもセンター試験だった。永森は京大に思い切り足切りを食らい、京大界隈から強制退場させられてしまったのだ。そう思うと、センター試験の足切りというのは将棋の奨励会の年齢制限みたいなもので(?)、残酷なようでいて優しく正しい道に戻してくれる制度でもあるのだ。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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