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藤原綾「女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住」

東京のマンションから鹿児島の平屋へ、1000kmの大移動

霧島時間に合わせて生きていきたいけれど

 やるなら今しかねえ。心に長渕剛を携え、お弁当3つとペットボトルのお茶を購入し、覚束ない運転で我が家へと車を走らせます。
 葵の御紋ばりに初心者マークをアピールしつつ、右にハンドルを切り左にハンドルを切りを繰り返しながら、ときにトラックの重圧に耐え、ときにラインを大きくはみ出し、たった15分ほどの距離なのに、どうにかこうにかやっとの思いで現地にたどり着きました。

 玄関の引き戸を開けると、なかでは3人の屈強な男性が汗をだらだら流しながら作業に勤しんでいます。かつてそこにあった壁はすべて取り払われ、柱だけが姿を現し、広々とした空間に生まれ変わっていました。
「すごい! 嬉しい!」と思わず声に出して、スキップせんばかりに部屋中を歩き回ります。
 床は半分くらいが貼り終わっていましたが、まだ床材が堆く積まれていました。ここから水回りが搬入され、壁紙が貼られ、壁の色が変わり、巣の大枠が整います。
 届いていた壁紙の色と、持参したペンキのチップを並べてどの色にするか散々迷い、洗面台で洗顔のシミュレーションをして高さを決め、壁に取り付けるランプシェードの位置を指定し、余った壁紙は鴨居へと……ぽわぽわぽわ〜ん。
 た、楽しすぎる。
 実家に置きっぱなしにしていたレコードも、手塚治虫全集も、これなら持ってくることができそうです。
「(どうかなにとぞ丁寧な作業を)よろしくお願いします!」
 夢のような時間に心を満たされ、笑顔で挨拶をして家を出ました。
 出発する際、車を切り替えることができなくて、早々に泣き言を言って出庫を代わってもらいました。頼れる人がいれば頼る、末っ子が覚えた世渡りです。
 でも、もしこのまま地域で人口減少が進んでいけば、私が頼る人もいなくなります。そして当然、運転もこのままというわけにはいきません。ひとり、ここで生きていくのです。

 ゲストハウスに戻ると、やっと帰ってきたかアホンダラと、仕事が腕を組んで待っていました。夢から現実への落差がひどい。
 執筆と校正の間に、リモートの打ち合わせが入ってきます。そのときは、化粧品会社の広告の仕事で、相手は5人の代理店チームと、私に仕事を打診してくれた制作会社にいる元同僚です。
 既に、全員リモートの打ち合わせにすっかり慣れていて、7人いても無駄なくスムーズに進行していきます。この流れを止めるのは悪である。ついていくべし、ついていくべし。意見を求められたら、的確な答えを変な間を開けずに答えるのだ。デキる風、イケてる風、デキてもイケてもいないけど、何となくそんな感じも出しておけ。6畳の和室でも白壁ならいけるだろ。
 別に合わせる必要なんてないけれど、多勢に無勢であります。
 打ち合わせ終了後、元同僚から「見た目だけなら右下かな」とLINEが来たので、「わかる。私も右下」と返しました。効率的であることに興味のない私たちの、これくらいの遊びは許してください。

 今回の霧島への旅は、運転の練習やリフォームの確認と共に、遠距離でのリモートワークに慣れておこうという思いもありました。
 ちょうどそのとき、不安から自分のキャパを忘れるフリーランス病に罹患していたため、明け方まで仕事をする羽目になりましたが、それでも、ここには足湯があって、夜になれば束の間、星を見上げることができます。
 このひと時があるのとないのとでは、ストレスがだいぶ違うように思いました。
 やっていることは東京にいるときとさほど変わらないけれど、夜が静かというだけで、心の安寧が保たれる気がします。
 やっぱり、移住を決めてよかった。

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藤原綾

1978年東京生まれ。編集者・ライター。早稲田大学政治経済学部卒業後、某大手生命保険会社に就職するも、大企業の闇に触れて逃げるように宝島社に転職。ファッション誌の編集を経て2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクション、写真集、機関紙……と、節操なく仕事を受けてきた結果、幅広い業界で編集・執筆活動を行うことに。近年もブランドムック『ANNA SUI COLLECTION BOOK』、雑誌『小学一年生』、漫画『ごろごろにゃんすけ』(村里つむぎ)、書籍『つくるひとびと』(秋山竜次/ロバート)、小説『海の怪』(鈴木光司)、カタログ『LAZY SUSAN』など、極端なノンジャンルで活動中。

インスタグラム @id_aya

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