2021.12.11
男はいなくても家がある。43歳のバースデー
バースデープレゼントという名のふたつめのローン
契約の日。43歳の誕生日。
霧島にある地方銀行の小部屋で、売主さん、久保さん、司法書士さんが顔を揃えて、銀行の担当者の指示のもと、実印をばんばん突きまくる会が始まりました。目黒のマンションを買うときもそうでしたが、言われるがままに判をついていく作業はなんとも虚無感が募ります。説明を受けて内容を理解し、吟味することよりも、早く美しく捺印することが求められる謎の時間。
すべての作業が終わって、資料を銀行の担当者が持っていき、4人でその戻りを待っていました。売主さんは近所でひとり牛を育てていて、自治会も一緒とのこと。気の良さそうな方で安心です。牛も見たい。肉牛の生態、見たすぎる。
事前に、梅雨が明けてから土を起こして畑にすることや、家祓をした後で引き渡すことは聞いていたので、すぐに自分のものというわけではありませんが、もう目と鼻の先に新生活が控えています。期待7割、不安2割、その他1割の奇妙な感覚でした。
4人で世間話を続けること1時間、いつまで経っても担当者が戻ってきません。途中で、「それにしても遅いなあ」と司法書士さんが口にしましたが、誰も呼びに行くこともなくそのまま時は流れていきました。
やっと担当者が顔を出したかと思ったら、あっちはあっちでこちらが出てくるのを待っていたとのこと。これが霧島時間なのでしょうか。司法書士さんも銀行の担当者さんも、客の私に、互いのミスだと小声でごにょごにょ言いましたが、私としてはそんなことより誰も急いでいないのが新鮮で、実際に暮らす前に売主さんと交流できるいい時間になりました。
そして私は、その場にいる全員に“なんだかな”という空気が漂うなかで、ぬるっと一軒家の持ち主になったのでした。この家は、祖母と亡くなった両親からの誕生日プレゼントのように思えました。
父が亡くなったとき、「きっと真理ちゃんが、『もうそろそろ行くわよ』って連れていったんだね」と両親を知る人が口々に言いました。真理ちゃんとは母のことで、父は母のことを真理ちゃんから派生した”バイボン”という不思議なあだ名で呼んでいました。
49歳で亡くなり、社会人としての私達を見ることができなかった母が、仕事の活動の場を広げる兄に、移住を決めた私に、これ以上心配をかけないよう父を呼んだのだと。
それは、生きていた頃のふたりの関係性をまさに象徴しているようで、母ならさもありなんと思えてならないのでした。最後に父から誕生日プレゼントをもらった記憶は、遥か彼方にぼんやりとあるだけですが、最期に大きなプレゼントを用意してくれたようです。
かくして私はローンをふたつ抱えながらも、いよいよ鹿児島の家を手に入れるに至ったのでした。