2022.9.27
異種ヤンデレ純愛幼馴染ハーレムBL──風来山人『根南志具佐』の「やおい」としての再解釈
児玉版・超現代語訳
舟に乗って来た侍は「日が暮れて涼しくなりましたね」などと世間話ばかりして煮え切らない態度だったので、菊之丞は酒の入った銚子を持って彼の傍に寄った。
「さっき、僕の下手くそな歌に本当に素敵な脇句をいただいてから、なんか普通のひとじゃないな、って思ったんです。ねぇ、『一樹の陰も一河の流れも、ひとかたならぬ縁』ってことわざ、知っていますか。たまたま同じ木の下にいた、同じ川の水を飲んだ、って思っても、それは決してただの偶然じゃなくて、前世からのなみなみならぬ縁があるってことなんですよ」
菊之丞は、侍の持っている盃に銚子を傾けて、その口から流れる酒を見つめながらそう言った。注ぎ終わると菊之丞は俯いたまま振り絞った。侍と、目を合わせられない。
「だからその、お名前を訊いてもいいですか。あなたはどこから来たんですか」
「……両国橋の下流の、浜町のあたりに住んでいます。夏はよく小舟に乗って、この景色を楽しんでいるんですよ。あ、ひとりで、です。独身なんで……」
侍は顔をほころばせながら注がれた酒を呷ると、菊之丞の手を取った。
「君のことを見つけて、ほんとうに、その、びっくりしちゃったんですよ。すごく綺麗だから……つい舟を寄せてしまいました、すみません。あの、今夜は一緒にいてくれませんか。君のことをもっと知れたら、大袈裟かもしれないけど、もう死んでもいいよ、俺」
名前、教えてくれないんだ。菊之丞には小さなさみしさがわだかまったけれど、侍の手の熱さがそれごと溶かしていった。ふたりは言葉の代わりに少しずつ酒を飲み交わし、気づいたら夜の八時ごろだった。周囲の音は遠くなって、お互いの鼓動しか聞こえない。ふたりはどちらからともなく互いの帯を解き合った。
不変なモノを愛する支配的な「ネクロフィリア」
さて、もうひとつ気になるのは、閻魔のキャラクターだ。
軽く「ヤンデレ」と先述したが、よくよく読むと彼はおぞましい思考をしている。閻魔は男色への無理解を言い散らしたあと、菊之丞の錦絵でコロッと惚れてしまい、菊之丞を自分の傍に置きたいがために寿命を待たずに殺そうとする。恐ろしいのは、そこに菊之丞の意思や好意への不安がないのだ。この閻魔大王の一挙手一投足に、私はエーリッヒ・フロムの「ネクロフィリア」という言葉を思い出した。
フロムは、人間にはふたつの愛があると言った。不確定な未来に生き、変化を愛する「バイオフィリア」と、不変なモノを愛する支配的な「ネクロフィリア」だ。後者は他者の意思を否定・無視し、死体のように管理しようとする衝動で、フロムはナチスの心理がこれに当てはまると述べている。個人レベルで考えると、毒親問題や、あらゆるハラスメントもこのネクロフィリアに該当するだろう。
死体愛好の趣味があるわけではないが、閻魔は生きている菊之丞に会ったこともないのに錦絵に一目惚れし、面識のない彼を殺してまで自分のものにしようする、文字通りのネクロフィリアに陥っている。現代で本作が風刺として機能するなら、閻魔の行動はストーカーのそれやハラスメントとして解釈されるだろう。一方、命令に反してでも菊之丞を生かそうとした河童は、バイオフィリックな愛に満ちている。
現代では、閻魔のような人間はそんなに珍しい存在じゃない。『根南志具佐』には閻魔を討ち取るキャラクターがいない(*4)のがまた生々しい風刺だが、せめて河童のようなバイオフィリックが溢れる世の中になりますように。
【注釈】
(*1)底本テクスト(『日本古典文学体系55 風来山人集』)では、「水虎」と表記されているが、ここでは「河童」と表記する
(*2)中村幸彦校註『日本古典文学体系55 風来山人集』(岩波書店1978)
(*3)また前近代以前の日本男色文化・衆道については、当連載第6回でも触れたが、女性蔑視や若衆(稚児)と念者の力関係を考慮しても、私は本作を含めた男色作品を現代のポリテカルコレクトレスに見合うものとして紹介しない。
(*4)続編『根無草後編』(1769・明和6年)では、1767・明和4年に逝去した市川雷蔵を題材に、彼の夢の中で傍若無人な閻魔を討つ描写がある。ちなみに、『後編』で菊之丞ではなく八重桐をあの世に連れてきた罪で、河童は蹴り殺されてしまう。
【参考文献】
中村幸彦校註『日本古典文学体系55 風来山人集』(岩波書店、1978)
エーリッヒ・フロム、渡会圭子訳『悪について』(筑摩書房、2018)
福田安典『平賀源内の研究 大坂篇 源内と上方学界』(ぺりかん社、2013)
『ユリイカ 総特集:BL スタディーズ』(2007年12月号臨時増刊号、39巻16号、青弓社、2007年12月)
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