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夕霧太夫の昼の顔──山東京伝『青楼昼之世界錦之裏』で描かれた遊女のリアル?

明治時代以降の文学と比べ、実際に読まれることの少ない江戸文芸。しかし、芭蕉の俳句や西鶴ら以外にも、豊饒な文学の世界が広がっています。 江戸時代の作品を愛読してきたJ-POP作詞家の児玉雨子さんが、現代カルチャーにも通じる江戸文芸の魅力を語る、全く新しい文学案内エッセイ。 前回、式亭三馬が描いた女湯を読み解きました。 今回は、山東京伝の作品から「遊女のリアル」を考えます。
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

遊郭を舞台にした作品の難しさ

 近世文芸を好きだと言ってこんな連載の機会までもらっておきながら、できれば取り扱いたくなかった題材がある。遊郭・岡場所を舞台にした作品だ。しかし江戸時代の作品に触れようとすれば、それから目を逸らして鑑賞することはできない。

 目を逸らさない、というのは、女児・女性の人身売買、そして買春の歴史を正当化することではないはずだ。けれど「こういう社会システムのおかげで、女性は野垂れ死ぬことがなかった」とか「高級な遊女は教養があって、庶民より恵まれていた」とか、客と遊女の心中作品を「本物の恋愛」とか、一方的な視座から称賛する言説に出くわすことは珍しくない。そのたびに私は、ため息と一緒にページをめくっていた翻刻や解説本を閉じていた。

 一方で、そこで働いた女性たちをいなかったことにしたり、その様子を見つめた作品を抹消したりするのもちがうと思っている。だからこそ題材には困っていた。

 私が十代のころ、遊郭を舞台にした漫画『さくらん』(安野モヨコ作 2001〜2003年連載)が2007年に蜷川実花監督で映画化されたり、2011年には角田光代によって近松『曽根崎心中』(リトルモア)がリメイクされたり、遊郭に関する作品がけっこう売れていたような印象がある。それまで「遊び場」として美化されてきた遊郭イメージを、これらの作品はその皮を剥いていわゆる「苦界」──女性が自分の人生も恋も選べず、買われることでしか道が開けないという現実を見せて、そこで生きていたひとたちを描き直したからだ。大正期の設定だけど『鬼滅の刃』遊郭編もそうだ。堕姫と妓夫太郎の謝花兄妹が鬼になる経緯は悲惨極まりない。そういえば、大学時代に必修科目をきっかけに近松作品をいくつか読んでみたものの、正直、あまりピンと来なかったことを思い出す。描かれるのは家の事情で結婚を強いられたり借金を背負ったりする客側の苦しみばかりで、女郎が閉じ込められている「苦界」の側面が薄かったからかもしれない。

 山東京伝作『青楼昼之世界錦之裏せいろうひるのせかいにしきのうら』(1791・寛政3年)は、こうして美化された遊郭の昼の模様──リアルな様子を描こうと試みたものだった。現代の女性クリエイターたちが描いた「苦界」とはまた違うものだが、当時すでに出来上がりつつあった「所詮遊びだけど、俺にだけ美しい花魁も真剣になってくれる恋のステージ」という遊郭のイメージを、京伝がどうにか剥ぎ取ろうとしていたことを紹介したい。

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児玉雨子

こだま・あめこ
1993年神奈川県生まれ。作詞家、作家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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