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潤色昼世界 真夜中の裏──山東京伝「青楼昼世界 錦之裏」をリメイクしてみた

明治時代以降の文学と比べ、実際に読まれることの少ない江戸文芸。しかし、芭蕉の俳句や西鶴ら以外にも、豊饒な文学の世界が広がっています。 江戸時代の作品を愛読してきたJ-POP作詞家の児玉雨子さんが、現代カルチャーにも通じる江戸文芸の魅力を語る、全く新しい文学案内エッセイ。 前回は、『根南志具佐』を「異種ヤンデレ純愛幼馴染ハーレムBL」として読み解きました。 今回は、特別編! 普段の江戸文芸紹介ではなく、児玉さんによる〈リメイク〉です。 児玉さんが現代語・現代的な視座で再構築するのは、第10回で取り上げた『青楼昼世界 錦之裏』です。
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

いにしえのオジサン構文手紙

〈夕霧チャン(ハート)(ハート) いつも有難う! 先日夕霧チャン(ハート)に会いに行った時、夕霧チャン(ハート)、ちぃとばかし、元気がないように見えました。どぉしたの?(汗)俺、夕霧チャン(ハート)の笑顔(笑顔の絵文字)のために、今月ガンバっちゃおうカナ(鼻から息を吹く絵文字)! 今夜も夕霧チャン(ハート)と夢の中(布団の絵)でも会えますよーに(キスの絵文字)チュッ!〉

 時計は昼四つ時(午前十時)を指していた。一階のトイレは吐瀉物の花が咲き、二階の座敷は食べ散らかし、飲み残した食器が散乱し、汗や体液が布団にしみついている。東、南、北の三方が川で分断された新地の一日の始まりは、客の夢の後始末から始まる。

 起き抜けの振袖新造がそれらを気だるげに片付けていると、彼女たちを束ねる番頭新造の川竹が寝乱れた髪をさっと簡単にまとめただけの姿でやってきて、振袖新造たちに指示を出し始めた。彼女が起きると、きりきりと巻いたぜんまいから手を離したように、この吉田屋の朝が動き出す。川竹は箒で座敷を掃除しながら座敷の奥にいる夕霧の背後に来て、彼女のうなじからその手紙の文面を覗き見た。

「すごいでしょ」

 振り返ってにたりと笑った夕霧は、まだ朝風呂に入っていなかったのもあり、少し顔が浮腫み皮脂も出ていた。室内とはいえ、明るい昼間は首と頭皮の境目に出た痘瘡も目立つ。さらにおとといまで願掛けのために塩断ち(*1)をしていたので、白粉を塗ったように顔色が悪かった。本物の白粉と紅で化粧をした夕霧の美しさは、この吉田屋だけでなく大坂新町を越え、江戸の吉原までその評判が轟いていたが、川竹にとっては今の素顔のほうが見慣れた夕霧だった。

「今もいるんですねぇ、こういう、趣味の悪い文体。ちょっと前はやたら多かったけれど」

「さすがにもう珍しいかな……いや、いるか……最近営業手紙も適当にやっていたから、久しぶりにちゃんと読んだ気がする。もう読むのも書くのも疲れてきちゃって」

「花魁は好き嫌いするから体力が持たないんですよ。ちゃんと今朝は食べてくださいね。それに、今日は九日ですから」

 さっきまでの笑顔の面を落としてしまったかのように、表情を失った夕霧が川竹を見つめた。その面を今度は川竹が拾って着けたように微笑んだ。

「今日でもう塩断ちは終わりでしょう」

「……そうだね」

 川竹はのそのそと起きて掃除や身支度を始めた振袖新造や禿かむろたちに向かって、ほらちゃんときびきびしなさい、花魁が優しいからって甘えるんじゃないよ、と言いつけながら掃除に戻った。店の一階から、料理番が朝買った魚や野菜を炊いている香りがのぼってきて、外では茶屋の男が遊女や客の忘れ物を届けにきたり、簪や櫛を取り扱う小間物屋が店に上ろうとしたり、いつもの朝が始まっている。夕霧はまだ瞼を擦っている禿に客からの手紙を渡して、捨ててくるように命じた。

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児玉雨子

こだま・あめこ
1993年神奈川県生まれ。作詞家、作家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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