2022.7.26
夕霧太夫の昼の顔──山東京伝『青楼昼之世界錦之裏』で描かれた遊女のリアル?
同じ登場人物をさまざまな作家が描く
主人公の夕霧は実在した遊女で、さらに家を勘当された伊左衛門(彼は架空の人物)との恋物語が近世文芸・演劇のひとつの型となっていた。有名なのは歌舞伎『廓文章』で、ここでの伊左衛門は着物を買う金もなく、夕霧がしたためた手紙を着物にしているという設定だ。この連載第7回では権八小紫譚をふまえた読本『比翌紋目黒色揚』を紹介したが、こうした有名な遊女の心中話の典型は、当時さまざまな作家たちが趣向を凝らして、同じ登場人物でもいろんな物語を描いていたのも近世文芸の特徴だ。
ちなみに吉田屋喜左衛門も、夕霧伊左衛門譚では必ずといっていいほど登場し、金はなくても想いひとつで夕霧に逢いにくる伊左衛門を店に上げる。この『錦之裏』でも、茶屋に行く前に夕霧が喜左衛門に礼を言ったのも、彼がゆうべ、金のない伊左衛門を店に入れてくれたからだった。
さて、何よりこの作品の魅力は、前半の女郎屋の模様だろう。タイトルの「錦之裏」は「夢の裏」という意味で、美しく華やかな非日常世界というイメージをとことん壊しにかかる描写が続く。すっぴん、爆睡、吐瀉物、性病と、絢爛豪華な世界の影の部分──客からすれば不都合な描写は、何も彼女たちの容姿や寝姿だけでない。絶世の美女と名高い夕霧と、彼女の番頭新造である川竹が客からの恋文を笑いながら読んでいる様子は、客が思い描く夢の世界を軽く粉砕する。しかも、本文ではその様子が寒山拾得の図にたとえられているのも特徴的だ。
狩野山雪「紙本墨画淡彩寒山拾得図」
(※文化遺産オンラインのリンク)
寒山と拾得は中国の伝説上の人物で、脱俗的で風変わりだが歌がうまく、また物乞いのような身なりでいたという。寒山拾得を描いた絵画は他にも多くあるが、どれも奇妙な微笑みと身なりが特徴だ。脱俗の寒山・拾得と、風俗の真ん中の非日常にいる夕霧・川竹というコントラストは興味深いけれど、それにしてもちょっと衝撃的だ。
しかし、どうして、わざわざ夕霧をはじめとした遊女たちに被せられた「夢」を、作者の京伝は壊そうとしたのだろう。今でいうミソジニーで、京伝は女性の容姿も性根もわざと醜悪に書いたのだろうか……と読み返してみるが、吉田屋の遊女や禿たちは仲が良く、女性が多い場所で描かれがちな、いわゆる「女同士のドロドロ」はほとんど描かれない。むしろ、夕霧のマネージャーである川竹のように、店の掟に背いてでも夕霧の恋に協力したり、朝は夕霧の着物を着ていたり、彼女たちの親しい関係が随所に表れている。京伝が描こうとした遊女のリアルとは、決して「女は醜い生き物だ」といった露悪的なものではないのだろう。
もっとページを遡ると、本作の書き出しには「最近の洒落本は似たり寄ったりなので、ちょっと捻ってみた」といったことを記している。いったい何が似たり寄ったりなのか。
ここでもまた出てくるのだが、この作品が出た時期は寛政の改革があり、遊里で客がやらかす失敗や滑稽を笑う黄表紙・洒落本が享楽的な内容だとみなされ規制対象になり、洒落本は洒落ではなく遊女との真剣な恋愛物語を描くことが求められた。京伝はそこに一石投じたかったのだろうが、結局作品の夕霧伊左衛門の恋愛物語と、心中せずにいきなり勘当が許され、結局いいお話に落ち着いてしまったところに、当局からの規制を逃れようとした姿勢が見て取れる。
しかしそんな努力も虚しく、京伝は本作が出版された1791年、洒落本『仕懸文庫』『娼妓絹籭』とともに本作も規制対象とみなされ、手鎖五十日の刑に処されてしまった。この一件で、京伝は心が折れて作品が書けなくなり、曲亭馬琴らが代作をするということもあった。
もしこの寛政の改革がなかったら、夕霧と伊左衛門の物語はどんなふうに展開したのだろう。いや、寛政の改革がなかったら、遊郭=華やかな(男性の)遊び場であり、同時に切実な恋愛の場というイメージが強化されず、わざわざ京伝がその夢の裏まで描こうと思わなかったかもしれない。本作は「洒落本の傍観的な本質が失われて、人情本に変質する萌芽が十分に存じていた」(*4)という評価がある。この人情本は文政期以降、つまり寛政の改革以降に生まれたジャンルで、遊女と客の真情物語にフォーカスが当たり、男一人に複数の女性が集まるハーレム恋愛物語が多い。確かに「錦之裏」は話の筋として尻すぼみであるのは否めず、洒落本というジャンルとしては不十分だったかもしれないが、ハーレム設定が多い人情本ではなかなか描かれない女性の素の姿や友情が描かれている点は、現代だからこそ再評価されてほしい。
【注釈】
(*1)「新造」とは、武家や豪商の若妻への敬称。ただし遊郭では本文で挙げたように振袖新造、留袖新造、番頭新造がいて、狭義では遊女見習いの振袖新造を指すことが多い。本作には登場していないが、のちの芸者のように宴会での楽器や芸を担当した太鼓新造がいる。
(*2)番頭新造の中でも優秀な者が昇格し、女郎屋で働く遊女や禿全体のマネジメントや、客と遊女の間を取り持つ仕事をした。
(*3)客の男性が、なじみの遊女の身代金と借金を肩代わりして仕事をやめさせること。遊女は貧困家庭から売られてきたり拾われてきたりして、売られてきた時の身代金や養育や教育にかかった資金を借金として背負っていたためである。
(*4)水野稔校註『日本古典文学体系59 黄表紙・洒落本集』解説より。
【参考文献】
水野稔校註『日本古典文学体系59 黄表紙・洒落本集』(岩波書店1958)
神保五彌・杉浦日向子『新潮古典文学アルバム24 江戸戯作』(新潮社 1991)
『日本国語大辞典 第二版』(小学館 1972)
連載第11回は8/30(火)公開予定です。