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児玉雨子「江戸POP道中文字栗毛」

湯の中の世の中(2)──式亭三馬『浮世風呂』に描かれる女性の多様な姿

ファッションへの洞察力

 そして単に「性的に書かない」というスタンスがあっただけでなく、三馬は女性向けとして『浮世風呂』二、三編を書こうとした姿勢が随所に見てとれる。たとえば、二編に出てくる上方(大阪・京都)からやってきた女性の身なりに関する文章だ。そのファッションへの洞察力に私はつい見惚れてしまった。

右ページ上部に「かみがたもの」と大きく描かれた、かんざしを多くつけている女性のことだ。国会図書館デジタルライブラリー
右ページ上部に「かみがたもの」と大きく描かれた、かんざしを多くつけている女性のことだ。国会図書館デジタルライブラリー

 上方筋の女、ずんぐりとした風俗、色白にてくちびる厚く、目のふちは紅のぼかし、口紅黒光りに濃く塗り……(後略)

 現代でいうと、目のふちに赤を入れ、唇をふっくらさせたチャイボーグメイクが近いかもしれない。この「口紅黒光りに濃く塗り」という表現、そこまで気を配らなければ「口紅濃く塗り」という描写になるだろうが、三馬が口紅の色合いまで見分けていることに私は驚いた。化粧をする人ならこの「黒光り」のニュアンスは想像しやすいと思う。

 あくまでその人の主観だが、知人の男性イラストレーターが、アニメーション制作現場で色彩設計のポストにつくのは女性が多い、と話していた。これには雇用問題など社会的要因がさまざま絡んでいるが、そのひとつに女性の方が色の感受性が高いから、という言説もあるそうだ。というのも「女の子は化粧やおしゃれをするもの」というバイアスによって、女性のほうが比較的早い時期から色に関する感受性が早く養われやすいのではないか、と彼は話していた。もちろん男性にも化粧が好きなひとがいるので、女性だけがそうとは言わない。ただ当時は化粧といえば基本的に女性のものだったから、三馬がこんなふうに色について細かく書けるのは、ちょっとすごいことだ。彼の女性読者への並々ならぬ意識が受け取れる。

 しかし、三馬は封建社会に対し女性のリアリティや解放を謳ったのではなく、この『浮世風呂』二、三編は、女性読者に「女性の道徳」を教える目的もあった。序文にはこうある。

 けだし女教じょきょうの書数多あまたあれど、女大学今川おんなだいがくいまがわのたぐひ、丸薬の口に苦ければ婦女子も心に味ふことすくなし。この女湯の小説は、素より漫戯まんぎの書いへども、心を用ゐて読むときは水飴の味ひ易く、善悪邪正じゃしょうの行状はおのづからに暁得さとすべし。

超現代訳)思うに「女性とはかくあるべき」という教えの本は、『女大学』や『女今川』のようにいっぱいあるけれど、どれも説教臭くて女性読者も読む気が失せるだろう。この女湯の小説はおもしろく読んでもらえるように書いた娯楽小説。これを読めば何が善いか悪いかの分別が、自然と理解できると思う。

 ここに出てくる『女大学』や『今川』、特に『女大学』は前近代の家父長制に従った女性の道徳書で、後に渋沢栄一が『論語と算盤』で批判するほど男尊女卑的なジェンダー規範が説かれているものだ。これを「丸薬」と表現しているとおり、三馬は説教臭さには辟易としながらも、規範自体には肯定的だ。あくまで『浮世風呂』は、それを「水飴」のようにやさしくした内容だという。

 しかし一方で、『浮世風呂』では「女かくあるべし」な説教に反する者の言葉も聞き逃さない。こんなシーンがある。

「オホホホ」と笑い、慇懃なまで上品な言葉遣いで話すマダム二人組。彼女たちの家の下女(奉公人、バイトのようなもの)たちは、おしゃれ着を仕事中でも着てくるほどおしゃれ好きだが、お金がない。「それなら汚れる仕事着は古布を集めて繕うとか、工夫をすればいいのに、今どきの女の子は針仕事もできないのかしら?」などと愚痴る。さらにその話ぶりからすると、彼女たちは嫁にもきつく当たっているようす。その後、会話を聞いていた別の下女二人組:おべかとおさるがこんなことを話す。読みやすいように、会話を現代訳してみる。

おべか「おさるちゃん、今のきいた?」
おさる「うんうん聞いた」
おべか「よくしゃべくるお婆さんだよね」
おさる「上品ぶってるけど他人の粗探しばっかりしてて、本性バレてんだよ。あんなのだからバイトが定着しないんだって。(中略)てかさ、針仕事するしないはこっちの考え次第じゃん。縫い物ができないからってクビになった下女、かわいそすぎ。私たちは気に入った服をただ着てるだけ。もったいぶらずに、今気に入っている服は今すぐいっぱい着たいじゃん」
おべか「その方がさっぱりしていいや。考えてもみてよ。あんなふうにバイトを悪く言うから、そりゃバイトだって雇い主の愚痴ぐらい言うでしょ。お互い様なんだから雇い主を悪く言おうとバチ当たんなくない?」

 マダムたちの言うことは、どちらかというと『女大学』にある儒教的な教えであり、寛政の改革の倹約令にも則っている。女性なら針仕事をしろ、というのは、現代人でも思い当たる典型的なジェンダー規範だろう。高校生の頃、選択科目で家庭科ではなく技術工作を選んだとき、親が「え、女の子なのに?」と戸惑っていた姿を思い出す(ただし、決して「家庭科にしなさい!」と強制されることはなかった)。

 平成生まれの私ですら思い当たる規範に、19世紀はじめの女性であるおさるは毅然とNOを言う。おべかも、ブラックな雇用主にまで従順でいなくてもいいよ、とかろやかに否定する。倹約令といい、なんだか、令和4年の今でも思い当たるようなことばかり……。

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児玉雨子

こだま・あめこ
1993年神奈川県生まれ。作詞家、作家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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