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地獄の沙汰は人間次第──井原西鶴『世間胸算用』にみる銭金事情

西鶴はずる賢い夫妻をジト目で描く

 そんな作品の風合いが最もわかりやすいのは、巻一の一「問屋の寛闊女くわんかつをんな」だろうか。「寛闊」とは無駄遣いすることで、この「女」とは商人である主人公の妻を指している。妻がおしゃれにお金を湯水のように使って首の回らなくなった問屋の主人は、当時流行していた振手形を乱発し、債権者がなかなか現金に辿り着けないようにして、姑息になんとか大晦日を迎えるのだ。『新潮日本古典集成』の注釈では、このように手形を悪用して借金から逃れる方法が当時実際に横行していたことも指摘されている。

 問屋の主人は妻を窘めることをしない。そのあまりの蕩尽ぶりに、主人の死んだ父親が12月29日の夢に現れて「商売仕返せ(商売を盛り返せ)」と忠告するのだが、主人は「後の世までも、欲が止まぬ事ぞ(おやじは死んでも欲深いなぁ)」とあざわらって無視してしまう。この時代、女性の衣類や化粧道具などは家財としてみなされず、自己破産時の差押えの対象から外れていた。妻の派手な金遣いはそれを利用して財産を着物に変えていて、もし破産したら、夫妻はあつらえた着物を元手にまた商売を始めるかも……という可能性も書かれている。西鶴はそんなずる賢く図太い夫妻のことを、まるでジト目で描いているのが特徴的だ。

 現代でも資産を家族の名義にして差押さえを免れることはたまに耳にするけれど、元禄期からすでにその逃げ道はあったようだ。こういう、個人の資産という概念のない「家族(夫婦)」のあり方、私は好きじゃないなぁ……。

「伊勢神宮ですら金儲けに苦しむ」

 巻一の三「伊勢海老は春のもみぢ」という話では、倹約家の金持ち老人が登場する。現代ではあまり見ないが、「蓬莱ほうらい」という米、柿、栗、かや、橙、昆布、熨斗、そして伊勢海老を盛った正月飾りがある。ただし現代と同じく、それを出さなかったからと咎められるルールはないので、経済的に余裕のない者は飾らないが、それらが揃っていればより縁起が良く、とにかく見栄えのいいものであった。金があるように見せたくて、伊勢海老の代わりに車海老を飾った人もいると本文で書かれている。

 年末の大坂では、あまり必要のないものも無駄に買い込まれて何もかも品薄状態になる。飾り用の伊勢海老も足りず、値段が通常の3倍近く釣り上がってしまっていた。ある裕福な家の亭主は吝嗇家なのでそんなもの必要ない、と突っぱねるが、息子夫婦は世間体を気にして高騰した伊勢海老を買ってくる。亭主は赤い絹布を使って伊勢海老を模した張子をうんと安く作らせて、正月飾りが終わっても子どものおもちゃに使える、これが知恵というものだ、と説教する。さらにそれを上回るケチの老母は、伊勢の国から下る中古の伊勢海老飾りを、12月中旬には既に安く買ってきていた。さらに老母が、伊勢神宮ですら金儲けに苦しむ、まして人間などもっと苦労するのだからちゃんと節約しろ、と神仏を俗世的に語る点もおもしろい。

 個人的な話だが、私の実家や身内もやや経済的余裕があった。ただ、さすがに先祖代々麻布や松濤に住んでいるような大金持ちではないし、身内の多くがドケチだった影響か、すっかり私も節約、節税、資産運用が趣味になってしまった。この話は妙に親近感を抱いてしまう。

 一方、巻一の二「長刀なぎなたはむかしの鞘」では、貧民街にある長屋での大晦日が描写される。この話は少し不思議で、そこに住む人々はそもそも買い掛けによる負債や破産のリスクがなく、目先の現金さえあれば平和に年を越せるというものだ。西鶴はこの作品で、見栄のために身の丈に合わない金を使うな、ということを再三書いている。とはいっても決して貧乏を美化することもなく、そこに住む人たちの出自や現状は悲しい。

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児玉雨子

こだま・あめこ
1993年神奈川県生まれ。作詞家、作家。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。著書に『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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