2020.12.14
翻訳家というミステリアスな職業—ギリギリの生き方をしてまでなぜ翻訳をするのか
私のように、業界の片隅で息を殺すようにして存在している翻訳者でも、年に一度ぐらいは、「どうしたら翻訳家になれるでしょうか」と聞かれることがある。返答にとても困る。いつも、「ええとそうですねえ……翻訳学校に行かれるとか、有名な翻訳家の先生のお弟子さんになるとかでしょうか……」と、しどろもどろに答えている。申し訳ないことだと思う。しかし、私にもこればかりはわからない。返答のしようがないのだ。
翻訳家の友人に聞くと、「あたしは翻訳学校に行った」とか、「大学のサークルの先輩の紹介で」だとか、「たまたま」といった答えが返ってくることが多い。年に数回、翻訳コンテストが開催されているのは知っている。そこで優秀な成績を取ると、デビューできるといった話も聞く。しかし、「これをすれば必ず翻訳家になれる」とか「この資格を取れば一発デビュー!」なんて話は聞いたことがないし、何をすれば翻訳家になれるのかという問いへの明確な答えは、私自身も耳にしたことがないのだ。私に関して言えば、一冊の本を出版したことがきっかけだった。それも、翻訳書ではなくジョーク本である。そんなこんなで、書籍翻訳家への道というのは、本当にミステリアスなのである。
ミステリアスなのはそれだけではない。翻訳家自身も、相当なくせ者が多い(褒めている)。私が知っている(お会いし、会話したことがある)翻訳家はそれぞれが、強いキャラクターを持っている。あまり出会うことがないタイプの人たちだ(全力で褒めている)。そして、それぞれが、大変なこだわりやで、ストイックで、しつこくて、ふざけていて、喧嘩っ早くて、チャーミングで、そして心が広いのである。ミステリアスで閉鎖的だと思われる翻訳の世界の住人たちが、実は他のどの世界の住人に比べても、オープンで寛容で自由なのだ。私のような人間を、両手を広げて無条件で迎えてくれたのは、今まで彼らだけだったように思う。
そして、そのミステリアスな書籍翻訳の世界で、もっともミステリアスなのはきっと、その収入だろう。「実際に、書籍翻訳だけで食っていけるの?」とストレートに聞かれた場合、私のほうもストレートに「無理!」と答えている。これはあくまで私の場合であって、書籍翻訳一本で生計を立てることが出来ている翻訳家は当然存在している。あまり数は多くないかもしれないが、間違いなく、ヒットメーカーは存在する。しかし、私の場合はそのレベルに達することができていないし、これから先も、達することはできないかもしれない。大変厳しい世界だと思う。