2024.1.10
駄菓子の話ができない
ピンク色に染まった大根を、友だちはよく買っていたが、その味がどんなものかは知らない。「モロッコヨーグル」は、テレビで存在を知ったが、友だちについていった駄菓子屋にあったかどうかも記憶にない。薄暗い店内に、透明で四角い形をしたものに赤い蓋がついた容器がいくつか並んでいたのは覚えている。薄暗いなかでその蓋の赤い色がとても目立っていた。
そのなかには、タコかイカかはわからないが、イボがついた茶色い色の足が入っていた。子どもながら、それを見てホルマリン漬けの標本を思い出したりした。他の容器にも、串に刺した茶色くて平たいものや、ピンク色の薄くて軽いおせんべいがきれいに並べられて入っていた。そのおせんべいは、お祭りのときに屋台で、水飴にくぐらせたあんず飴を買うと、それをのせてくれるせんべいと同じだったので、味といえるような味はなかったが、どういうものかは知っている。たくさんの駄菓子があるなかで、私が知っている味はほんの少ししかないのだ。
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「うまい棒」や「ハッピーターン」も、私が子どものときはなかったけれど、今スーパーマーケットでも見かける。
「これが話にきいたうまい棒か」
と思いつつ、一度も食べたことはない。最近テレビで、「利きうまい棒」をやっていたが、それを観ていて、
「みんなわかるほど、うまい棒を食べているんだな」
と感心してしまった。どんなものであれ、味覚の記憶は数が多いほうがいい。親の方針だから仕方がないのだが、あのとき意地を張らないで、親の提案を素直に受け入れ、駄菓子屋で駄菓子を買ってもらえばよかったと、今になって悔やんでいるのである。
次回は2月14日(水)公開予定です。
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