2024.1.10
駄菓子の話ができない
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。
イラスト/佐々木一澄
ちゃぶ台ぐるぐる 第1回 駄菓子の話ができない
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還暦を過ぎた、年下の友だちと話していたら、子どものときに読んでいた漫画の話になった。私は本も好きだが漫画も大好きで、週刊マーガレット、週刊少女フレンド、週刊少年マガジン、週刊少年サンデーは欠かさず買い、カッパコミックスの『鉄腕アトム』も必ず買っていた。『おそ松くん』など、話したい事柄は山ほどあって、私が勢いづいて話そうとしたら、彼女が、
「私、漫画は全然読んでないからわからないのよ」
と苦笑した。
子どもが漫画を読まないで育ったとは、どういうわけかと聞いたら、親御さんが厳しくて、漫画なんて読むものではないといわれたという。その結果、彼女は国立大学の附属小学校、中学校、高校と進学し、偏差値の高い大学に通った。様々な家庭の方針があって、漫画禁止の家があるのも、まあ、それはそうだろうなと納得した。
同じクラスにも、そういう子たちがいた。自分では漫画を買わなくても、友だちから借りて読んだりして、多くの子が休み時間に漫画の話をしていたが、その子たちは輪に入れなかった。その分、彼らはまじめにお勉強をしていたので、みんな成績がよく、当時は珍しかった有名私立中学校の受験をして合格していた。
私は子どものときに読んだ漫画の話はできるが、駄菓子の話ができない。うちの両親は子どもに対しては、よくいえば基本的には大雑把な野放し主義だった。親から、
「勉強しなさい」
といわれたことは一度もない。
「勉強をしないで、成績が悪くて恥をかいたり、困ったりするのはあんたなのだから、自分で考えてやりなさい。私たち両親には関係ない」
というのが理由だった。そして、小学校の低学年までは宿題でわからないところを教えてくれたが、三年生になったときに、
「もう私たちには教えられないから、わからないところは全部、先生に聞くように」
といわれた。テストのときはいい点のときだけ見せて、悪い点のときは見せなかった。もちろん点数がいいと褒めてくれたが、テストを全部見せなくても、特にそれで叱られたりすることはなかった。たまに心が痛んで、点数が悪いテストを見せると、
「まあ私たちの子どもだから、仕方がない」
と苦笑していた。そういわれたから、長い間、本当に勉強ができなかったのだろうと思っていた。ところが大人になって彼らの卒業した学校の偏差値を調べてみたら、うちの四人家族でトップが父親、次が母親、三番目が弟、そしてビリが私とわかって愕然とした覚えがある。
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