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爪切男「クラスメイトの女子、全員好きでした」
小学校から大学まで――
さまざまなクラスで、それぞれの出会いがあった。
教室で、体育館で、廊下で、校庭で……。
時が経っても鮮明に思い出す彼女たちの面影。
ロングセラー『死にたい夜にかぎって』の著者が贈るスクールエッセイ。

前回はちょっとお腹が弱い少女との美しいお話でした。
今回は、学校一の完璧優等生少女との忘れられない失敗?エピソードです。

ワックスの海を滑る彼女は、僕らの学級委員長

 小学生のとき、クラスメイトの投票で学級委員に選ばれることが多かった。

 だが、それは別にたいしたことではない。
 所詮、小学校における学級委員選挙なんて、その仕事をこなせる手頃な奴に責任をなすりつけるか、ただの人気投票にしかに過ぎないのだから。
 そして、私が選出された理由は前者だった。
 勉強も運動も平均以上にできて、容姿は整っていないが清潔感だけはある。計算高い私は、常にみんなに愛嬌を振りまいていたし、クラスのガキ大将とも仲が良いとくれば、私が選ばれるのは至極当然のことなのだ。
 多額の借金を抱えた家に生を受け、少しでも家計の足しになればと、八歳の頃から親の内職を手伝っていた私。遊び感覚ではあるが、日々の仕事を通じて、学校で習うよりも早く、数字の概念、計算式、要領良く働く方法を独学で身につけた。
 すでに労働者デビューをしていた私にとって、学級委員の仕事は一銭の得にもならぬタダ働きでしかない。しかし、いくら文句を言ったところで、選ばれてしまったものは仕方ない。ここは担任の先生への点数稼ぎになればと割り切り、ホームルームの司会、号令、点呼などを粛々と勤めるようにした。

 そんな私でも、小学校二年生のときに初めて学級委員に選ばれたときは、委員長バッジを家族に見せびらかせて喜んだのだが、その反応はひどいものだった。
「でもお前は一年生のときに選ばれなかったやろ。それを反省しろ!」と親父に叱られ、祖父にいたっては「爺ちゃんはこんな小さいものじゃなくて、戦争でもっと大きな勲章をもらったんやぞ」とよく分からない自慢をされた。頼みの綱である祖母にも「そんなんはええから、今日の分の内職を頑張ろうな」と仕事を急かされる始末だった。

 結局、二年生以降も毎年学級委員に選ばれては、面倒な仕事を押しつけられる羽目になるのだが、たった一度だけ学級委員になってよかったなと思う年があった。
 それは小学校五年生の一学期のこと。私にそう思わせてくれたのは、一緒に学級委員を務めてくれた中野美咲なかのみさきさんだった。

 絵に描いたような優等生の中野さんは、テストの点数は、学校で一、二を争う成績をいつも納めていた。彼女の家は地元でも有名な秀才一家で、祖父は中学校の校長先生、父と母は共に大学教授、二人の兄はどちらも東大生といった具合である。
 そのため、彼女は私たちが進学する公立の中学校ではなく、私立の名門中学校に進学すると早くから宣言していた。同じ中学に行かないということもあってか、なんとなく中野さんと私たちの間には目に見えない壁があり、どちらも必要以上に仲良くなろうとしていなかった。
 中野さんは、一九九〇年頃の小学生には珍しい内巻きのショートボブの髪型に、高級感溢れる黒ぶち眼鏡がよく似合う女の子だった。おそらく、両親が腕の良い美容室にでも連れて行っていたのだろう。
 まさに才色兼備といった彼女と、私は不思議と馬が合った。学級委員の仕事に対する考え方がよく似ており、お互いに効率重視で物事を進めようとするので、一緒に作業をしていて余計なストレスを感じないのだ。「阿吽の呼吸」とはこのことかと、私は少し感動を覚えたものだった。
 といっても、二人とも必要最低限の会話しかしないので、心の距離が縮まることはなかった。下手に仲良くなって仕事をしづらくなるよりも、このまま息の合う相棒でいたほうがお互いのためだと思っていたのだ。

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爪切男

つめ・きりお●作家。東京都中野区在住。2018年1月、『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。現在、週刊SPA!にて勤労エッセイ『働きアリに花束を』を連載中。2019年11月末に扶桑社より文庫版『死にたい夜にかぎって』発売予定。また、中央公論新社BOCにて好評を博した『男じゃない女じゃない仏じゃない』も来年書籍化予定。トークショー、物言わぬ変人役でのドラマ出演、サウナコンテストの審査員など、作家以外の活動も多種にわたって迷走中。

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