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爪切男「クラスメイトの女子、全員好きでした」

宇宙で一番美しかった嘔吐

 そんな二月の晴れた日のこと、一時間目の体育の授業の帰り、校舎と体育館を結ぶ渡り廊下で豪快にゲロを吐いた白川さん。クラスメイトの目が届かない場所で二人きりのゲロ掃除。私はこの機を逃さず、思い切って白川さんに自分の気持ちを打ち明けることにした。

「あのさ、白川さんがいじめられるようになったのは、俺のせいだよね。本当にごめんね」
「えぇっ!」
「俺がドッジボールを変なところにぶつけちゃったからさ、あの時からキャベって呼ばれるようになったじゃん」
「……あ、うん」
「本当にごめんね」
「ありがと、でも私はいじめられてる気がしないんだけど……、みんなのあれってイジメだったの?」
「いや、だってひどいじゃん、キャベ、キャベって」
「私、キャベって名前、結構好きなんだけどな。ほら、ティンカー・ベルみたいな名前で可愛いでしょ?」
「……」
「なんで笑ってるの」
「変なこというなぁと思って」
「そうかなぁ、う~ん」
「ところでさ、なんであの時『キャベ~!』って叫んだの?」
「……たぶん、ボールをぶつけられるのが怖くて『キャ~!』って言いたかったんじゃないかな」
「それなのに『キャベ~!』って言ったんだ」
「うん、『キャベ~!』って」
「ははは」
「ふふふ」

 私たちは一緒に笑った。二人の目の前には吐きたてホヤホヤのゲロがあるというのに。でも、その日の白川さんのゲロは汚いものとは思えなかった。それは私の中で彼女のことが大切な存在になった証拠だった。

 その日の昼休みの教室、担任の先生が居なくなったのを確認して、私は三宅君に声をかける。他のクラスメイトと一緒に白川さんもその様子を見ていた。

「なぁ、三宅君。もう白川さんをいじめるのはやめようや」
「あぁ? なんで?」
「もうキャベって呼ぶのも飽きたやろ?」
「全然飽きてないけど? 何、お前、キャベのこと好きなの?」
「……吐きたくて吐いてるわけじゃないのに可愛そうやろ」
「なんだよ、お前。俺に文句あんのかよ」
「ええから、もうやめようって」
「じゃあお前が吐けや」
「え?」
「キャベの代わりにお前が吐けよ。喉に指突っ込んでさ。『キャベ~!』より面白い声で吐いたら、あいつをいじめるのやめてやるわ」
「本当やな。約束やぞ」

 私は自分の喉の奥に指を突っ込んで何度も吐こうとした。「おえっおえっ」と戻しそうになるたびに、給食で食べたレーズンパンとコンソメスープが胃から逆流してくるのを感じる。いける、あと少しで吐ける。だが、みんなが見ている前で吐くことが急に恥ずかしくなり、私はあとちょっとのところで指を動かすことができなくなる。
「おら、どうした。早く吐けよ。面白い声で吐かんか! ボケ!」
 三宅君の容赦のない言葉に心を折られてしまった私は、知らないうちに大粒の涙を流していた。おそらく、学校で泣くのはこれが初めてだった。
 もう少しだけ指を突っ込めば吐けそうなのに。
 僕にはみんなの前でゲロを吐く勇気がない。
 僕には大切な女の子を救うためのゲロを吐けない。
 それが悔しくてボロボロと泣いた。

 いじめられないためには、一番強い奴に気に入られること。
 いじめられないためには、みんなの前で泣かないこと。
 いじめられないためには、いじめられっこと仲良くしないこと。

 この三つを守らなかったばかりに、私の学校生活は大きく変わりそうだ。でも白川さんといっしょにいじめられるのなら悪くはないかな。そんなことをぼんやり考えていた。

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爪切男

つめ・きりお●作家。東京都中野区在住。2018年1月、『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。現在、週刊SPA!にて勤労エッセイ『働きアリに花束を』を連載中。2019年11月末に扶桑社より文庫版『死にたい夜にかぎって』発売予定。また、中央公論新社BOCにて好評を博した『男じゃない女じゃない仏じゃない』も来年書籍化予定。トークショー、物言わぬ変人役でのドラマ出演、サウナコンテストの審査員など、作家以外の活動も多種にわたって迷走中。

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