2019.11.11
この世で一番「赤」が似合う女の子
五月からはじまった松浦さんへのいじめは、夏になっても終わることはなかった。松浦さんは、福岡君の陰湿ないじめを二か月に渡り耐え続け、私はどうすることもできない己の無力さを嘆くばかりだった。
そんな七月の日曜日、親父の買い物に付き合わされて、車で一時間以上かかる隣町のホームセンターにやって来た私は、信じられない光景を目撃した。何気なく目をやったインテリアコーナーに、場末のホステスが着るような真っ赤なワンピースドレスに身を包んだ松浦さんがいたのだ。制服と体操着姿の松浦さんしか見たことがなかった私は、そのギャップに胸がドキドキした。
「赤いワンピース似合ってるね」と声をかけてあげよう。そう思って、足を踏み出した瞬間だった。
展示品のベッドの上を、狐に取り憑かれたかのように、「あああびゃああ!」と奇声を上げながら、松浦さんが半狂乱で飛び跳ね出したのだ。
「……あの子怖い」
身の危険すら感じた私は、彼女に気付かれないように、静かにその場を立ち去ることした。
ホームセンターからの帰り道、懸命に思考を巡らせる。おそらく、あのホームセンターは松浦さんにとっての楽園なのだ。吃音やいじめ、おそらく家庭環境にも苦しんでいる彼女は、あのベッドの上で感情を爆発させることで、すべてをリセットして毎日を頑張って生きているに違いない。とにかく、今日見たことのすべてを忘れることにしよう。でも、赤いワンピースは本当によく似合っていた。それだけは間違いない事実だ。
だが、私はやっぱり子供だった。子供とは己の欲望に負けてしまうからこそ子供なのである。
翌日、教室で松浦さんと顔を合わせた瞬間、どうしても昨日のことを知りたくなった私は、「昨日さ、赤いワンピースを着て、隣町のホームセンターにいたでしょ?」と聞いてしまった。
三十秒程の沈黙の後、彼女は「ヴォ、ヴォ、ヴォ、ヴォォオ!」と、この世のものとは思えぬ声で泣き始めた。何があっても涙を見せない松浦さんが大粒の涙を流して泣いている。教室にいたすべての人が、松浦さんが慟哭する姿を茫然と眺めていた。あれほど守りたいと思っていた女の子を泣かせてしまったのは、いじめっ子ではなく私だった。
担任の先生と福岡君から「おまえ、いったいどんなひどいことを言って泣かせたんだ?」と追及されたが、口が裂けても本当のことは言わなかった。それが、私に残された彼女のためにできる唯一のことなのだから。
念願だった松浦さんの泣き顔を見た福岡君は、それに満足して彼女へのいじめをやめた。ようやくクラスに平穏な日々が帰ってきた。何事もなかったかのように、松浦さんはいつもの明るい笑顔を取り戻し、クラスメイトも彼女が泣いたあの日のことは決して口にしなかった。一個だけ変わったことといえば、私と松浦さんがひとことも口をきかなくなったぐらいである。
学年が変わって別のクラスになれたら気が楽だったのに、私と松浦さんは卒業まで同じクラスだった。クロッキーの授業でお互いの手を一回スケッチし合ったのと、六年生の時の演劇祭で、乙姫様の後ろで怪しいダンスを踊るイカの役を二人で演じたこと以外は、何の接点もないまま、私たちは小学校を卒業した。
中学生になったら、頃合いを見て謝罪しようと思っていたのに、松浦さんは、家庭の都合で別の地域の中学に進学してしまった。赤いワンピースが似合う彼女は、永遠に私の手の届かない所に行ってしまった。