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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。
前回は、新年度スタートの時期なのに、なぜか落ちていた正月飾りの話でしたが、今回は飴の落とし物の話です。飴なのに、あまくなく、なぜかせつない味がするストーリーです。 

友人のおばあちゃんがくれた、あまくなかった飴の味

都内の路上にて発見。琥珀色の甘い飴は、少年時代の苦い味がする?(写真/ダーシマ)
都内の路上にて発見。琥珀色の甘い飴は、少年時代の苦い味がする?(写真/ダーシマ)

M君のおばあちゃんがいつもくれた宝石のような飴

子供の頃に住んでいた町の外れの方に公営住宅があった。コンクリートのブロックでできた今では懐かしい長屋造りの建物がいくつも並んでいた。屋根の色は赤だったか青だった忘れたが、たしかどちらかだったはずだ。私の父親は教師だったので、私たち家族は教員専用の住宅に住んでいて、そこも決して新しい建物ではなかったが、それよりもさらに古く思えた。

クラスメイトの何人かはその公営住宅に住んでいて、M君もそこに居た。

M君が着ている服は新しくなくて、かつ綺麗でもなかった。勉強もあまりできなかった。
かといってスポーツも得意ではなかった。ただいつもニコニコしていた記憶がある。

私はM君も含めた何人かのグループでよく遊んだ。M君たちの公営住宅と私の教員住宅は同じ方角にあったので、放課後は一緒に帰って、そのまま遊ぶ流れになった。

M君の家にいくと、いつも片付いていなかった。しかし子どもにとってそれは嫌なものではなかった。M君の父親や母親を見たことはなく、居間にはM君のおばあちゃんがいて、何かの作業をしていた。今思えば内職だったのだろう。その周りに幼い弟や妹がいた。

私たちが遊びに行くとおばあちゃんはいつも私たちにお菓子をくれた。「Mと仲良くしてくれてありがとう」と言って手渡してくれた。それは決まって「カンロ飴」だった。それは丸い琥珀のようで、古いレースカーテンの隙間から差し込んでくる西日に照らされて宝石のように輝いていた。

私は「カンロ飴」越しに向こうの景色を見ようとのぞいてみたことがある。きっと見えるものがすべて輝いて見えるだろうと思ったのだ。しかし何も見えず、目から飴を話すと、散らかったM君の家がまた見えた。

私たちは恐ろしく子供だったが、時折急激に大人になる時があった。今まで知らなかったことを知ったり、自分の中に存在しなかった価値観が突如生まれたりする。M君に違和感を覚え始める友人もいた。

ある日、いつものように「カンロ飴」をもらった帰り道に、誰かが「これ、おいしくないよな」と言った。誰かが「俺もそう思う」と言った。「Mの家に行きたくない」という言葉も聞こえた。そして誰かが飴を道に捨てた。次々と捨て始め、私も捨てた。オオバコの葉とシロツメクサが生えている道端で、夕暮れの色と飴の色が同化していた。

帰宅した私は食べ物を捨てるという罪悪感とM君に対する罪悪感が合わさり大きくなって、耐えられなくなりこっそり捨てた場所に戻った。しかしそこにはもう飴はなかった。

落ちている飴を見つけ、私はその時のことを思い出して立ちすくんだ。昭和50年代の恐ろしく昔のことだというのに、今でも何かに責められて押し潰されてしまいそうになる。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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