2025.5.23
高齢者と介護職員、そしてアーティスト。交わることで生まれた「ケア」の可能性@クロスプレイ東松山【後編】
地域のアートセンターのような福祉施設を目指して
インタビューを終え、デイサービスが行われている日常風景の中にお邪魔した。そこではお年寄りが歌やぬり絵を楽しみ、奥の和室では緩やかにリハビリ体操が行われ、反対側の通路から入浴を終えた90代の女性が、ドライヤーで髪を乾かしてもらうためにやってきた。
介護職員はある程度ゆとりをもって配置され、穏やかに、なおかつ実はてきぱきと、同時に複数のことを考えながらマルチに働いている。アーティストたちがこの中で過ごし、作品を生み出した風景でもある。

美術館や劇場には大概作品を観たい人がやってくるが、福祉施設ではアートを必要としていない人の方が多い。それでもアーティストが入ることによって普段とは違った景色、違った時間が生まれることがある。
「アートが人を傷つけることもあることには自覚的に、職員とも丁寧にやり取りしながら、今後もいろいろなアーティストと出会っていきたい。ケアの現場や生活の中にアートが存在できるか、これがクロスプレイ東松山が実験的に取り組んでいることです」と語る武田さん。
長期的には、地域にあるさまざまな文化・福祉・教育施設などと連携しながら、福祉と文化が共存する「小さなアートセンター」のような場所になることを目指している。
地域連携の例としては、2023年にアソシエイトアーティストとして参加した文化活動家・音楽家のアサダワタルさんが残したものは大きい。
アサダさんは楽らくのテーマソング2曲を制作。滞在制作で収集し経験したことから歌詞を生み出したため、利用者たちに「これは自分たちの歌だ」と受け入れられ、今もデイサービスで歌い継がれている。
その1曲「また明日も楽らくで」はミュージックビデオを制作し、近くの小学校生徒にも授業の一環として撮影に参加してもらった。歌は、楽らく前にある時計塔で、登校時間に合わせて毎朝時報のように流れている。これを機にその後も小学校と楽らくの交流が続いているのだ。


ちなみに筆者の母は、6年前に一度、地元のデイサービスに見学に行ったきり。今さら新しいことはしたくない、入浴で他人の前で裸になりたくないなど、複数の理由で利用を拒んだ。
趣味もなく、家から外に出ようとしない母は、自ずと他者との接触がほとんどなくなり、認知機能の低下も目立ってきた。東松山に住んでいたら楽らくに行ってもらたいところだ。既存の制度から外れたスナフキンのようなアーティストと話でもできたら気が楽になるのかもしれないなと、今回の取材を通じて思った。

ケアする人とケアされる人、それは時に逆転もする。その間に起こる見えないものを発見し、形にして表現できるのは、やはりアーティストの力ではないだろうか。
老いは誰にもやってきて、ケアする人もいつかケアされる人にもなる。「老いや死というものに向き合うのは難しいけれど、アートを通して一旦想像する時間が取れると、自然と溢れてくる感情がある」と話す武田さん。
限られた条件の中でも何かを生み出そうとするアーティストの姿は励みになる。アーティストとの交流が生み出す好奇心は、生きる杖になるかもしれない。明日には忘れてしまうお年寄りもいるかもしれないけれど、老いの時間を慈しむケアの現場だからこそ、何かを生み育むアートの生命力が必要なのだろう。
次回連載第7回目は6月13日公開予定です
