そんな思いを胸に、自身もグリズリー世代真っ只中の著者がおくる、大人の男のためのファッション&カルチャーコラム。
2020.4.17
サイコビリー狙いで久々にオーバーオールを買ったら志村園長になった
オーバーオールを買ったのは、頭がちょっとアレだった大学2年生のとき以来だ。
GAPで見つけたそれはレディースで、メンズはないということだったが、オーバーオールはもともとゆったりしたつくりの服だからレディースでも問題なかった。
オーバーオールがこんなに気になるのは、やはり志村どうぶつ園園長のことがまだ頭から離れないからだろうか。
オーバーオールといえば、のどかな田園気分を演出する服のようなパブリックイメージがあるかもしれないけど、僕が大学生のとき愛用していた理由はちょっと違う。
ザ・メテオスやザ・クランプス、グアナ・バッツ、マッド・シン、スキッツォといったサイコビリーバンドに、当時ちょっとハマっていたからだ。
オーバーオールといえば、鼻や口から血を流しながらイッちゃった表情でウッドベースを唸らせる、バイオレンスなサイコビリーミュージシャン。
ちょっと(いや、だいぶ)いかれたヤツが着る服、それがオーバーオールだと思っていたのだ。
オーバーオールという作業着が生まれたのは、19世紀後半のアメリカのゴールドラッシュ時代のこと。
一攫千金を夢見て、泥まみれ汗まみれになりながら砂金を漁る野郎どもの要望によってつくられた、丈夫なキャンバス生地の胸当て付き作業パンツが原型。
しばらくして、キャンバスよりも丈夫なデニム素材のオーバーオールが出回ると、労働者の間で大人気となり、農民や工場労働者の間でも定着した。

サイコビリーとオーバーオールとヒルビリーの深い関係性とは
そんでもってサイコビリーという音楽ジャンルについてですが。
サイコビリーとは、1980年代にロカビリーとパンクが合体して成立した音楽。
叩くように弾くスラップ奏法のウッドベースとセミアコギターを使い、ロカビリーベースの曲を激しく演奏するのが特徴だ。
サイコビリーのライブ鑑賞には、レッキングという独特のお作法がある。
特に盛り上がる曲に合わせて前後左右にパンチを繰り出し、周囲の人たちと殴り合うのだ。
“パンチ合戦”とも呼ばれるレッキングはケンカではなく、当事者同士はみんな笑顔で楽しそうに殴り合う。
僕は音楽としてのサイコビリーは好きでよく聴くのだが、恐ろしいのでパンチ合戦に参加したことはない。
服装にはロカビリーとパンク双方の影響が見られ、テディボーイズ風のエドワードジャケットやハードコアパンク風の鋲付きライダース、スキンヘッズ風のMA-1、そしてオーバーオールが定番だ。
サイコビリーの源流をたどるとロカビリーに、さらにルーツをたどるとヒルビリーと呼ばれるカントリーミュージックにたどり着く。
ヒルビリーというのはもともと、アメリカの山間地域であるアパラチアやオザークに住む“田舎者”を指す差別的ニュアンスを含む言葉。
田舎で自由かつ無秩序な生活を送り、貧乏で学がなく、汚れたオーバーオールを着て乱暴な言葉を使い、気に入らないことがあると銃をぶっ放す……、これがヒルビリーのステレオタイプ。
20世紀前半、彼らの奏でる音楽はアパラチアンミュージックやマウンテンミュージック、あるいはヒルビリーミュージックと呼ばれていたが、1940年代にはカントリーミュージックという呼称で定着していく。
そして1950年代にはロックンロールと融合してロカビリーが生まれ、1980年代にサイコビリーが生まれるのだ。
つまりサイコビリーにとってオーバーオールは、ルーツを感じる由緒正しい服装ということになる。
でも僕が着ると、そんな危険なサイコビリー風にはまったく見えないんだよな。
やはり志村園長路線を狙うか。