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4大会連続の五輪後、サラリーマンに。飛び込み・寺内健が2年間のブランクが近道だったと感じる理由とは?

復帰後は、コーチと2人で一緒につくっていく本当の意味を理解できるように。

二人三脚でずっと続くことになる崇英コーチとの師弟関係。あるとき寺内はコーチにこう言われたという。

「自分がやっていた時代よりはるかに難易度の高い技を成功させていくには、何よりお前の力が必要なんだ。俺の力だけでは無理なんだ」

コーチ頼みじゃなく、あくまで2人で一緒につくっていく感覚。その本当の意味を理解できたのは、一度競技を離れて俯瞰して競技と自分を見ることができたからなのかもしれない。外の立場になってスポーツの社会的な価値も分かった。そして何より自分自身、勝手にピークを設定していた愚かさを知った。中の世界にいたら分からなかった。遠回りじゃなく、自分にとっては必要な道だったと心の底から思えた。

「20歳のときは24歳くらいがピークだと思って、24歳のときは、いや28歳くらいと思っていました。振り返ってみると、北京オリンピックで無理やりピークをつくろうと決めつけていただけ。上を目指していけば、ピークなんてどんどん上がっていくものなんです。あのとき僕は勝手にその天井をつくってしまった。

もし北京で辞めないで続けていたらそこに気づけなかったかもしれない。ロンドンオリンピックに出ても、本当の意味でメダルを獲るってことに向き合えていなかったかもしれない。だから2年間のブランクが遠回りではなかったんです。飛び込み道を邁進していくには、むしろ一番の近道であったようにも感じるのです」

競技だけに専念してきた自分の100と、サラリーマン生活を経て戻ってきて感じた自分の100。伸びしろと価値の再認識が、その100の許容量を大きく広げていた。

嫌になるほど毎日やってきたはずの飛び込みが、新鮮に、刺激的に映る。

天井はいらない。
遠回りしたことによって、寺内健は自己リニューアルを実現したのである。

第3回に続く)

profile
てらうち・けん/1980年8月7日生まれ、兵庫県出身。ミキハウス所属。
地元のJSS宝塚スイミングスクールで、生後7か月から水泳を始め、飛び込みに転身。中2で日本選手権、高飛び込み史上最年少初優勝。96年、高校1年でアトランタオリンピックに出場するなど、飛び込み競技の第一人者。2000年、シドニーオリンピックでは、高飛び込みで5位、3m飛び板飛び込みで8位入賞。01年、世界選手権の3m飛び板飛び込みで銅メダル、04年ワールドGPカナダ大会で国際大会初優勝など活躍。09年、現役引退。スポーツメーカーでのサラリーマン生活を経て、11年復帰。来年の東京オリンピックで6大会目の出場を果たす。
その他最新情報は本人公式ツイッターでチェック! ◆https://twitter.com/terauchiken

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新刊紹介

二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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