2025.10.18
「“メジャー”という言葉が嫌いなんです」。80年代、ラフィンノーズのデビューを手掛けた人物が語る、熱狂と挫折とインディーズ精神。 【トイズファクトリー代表取締役 CEO 稲葉貢一インタビュー前編】

JUN SKY WALKER(S)、筋肉少女帯、THE RYDERS──青春の轟音と旗揚げコンサート
1970年代末から始まった日本のパンク&ニューウェーブ系インディーズシーンは、1980年代に入ってから徐々に盛り上がり、やがてブームと呼ばれるようになった。
ラフィンノーズの新宿アルタ前ソノシートばらまき事件、NHKのドキュメンタリー番組『TV-TV インディーズの襲来』の放送、新宿駅東口広場のキャプテンレコード発足記念フリーコンサート開催といったビッグイベントが立て続けにあった1985年春〜夏ごろ、ブームは佳境に入り、その勢いは2年ほど継続。
インディーズシーンはメジャーレコード会社の青田刈り場のようになり、ラフィンノーズに続き、ウィラード、有頂天、そして数多のインディーズバンドが次々とメジャー展開していった。
ところが、1987年春に起きた日比谷野外音楽堂群衆事故によって、インディーズブームは突然、強制終了となってしまった。
ラフィンノーズは事故の後、予定していたすべてのライブや音源のリリースをストップ、活動自粛に入った。
並いるインディーズバンドたちの先頭に立ち、ブームを牽引していた人気バンドのライブで起きてしまったこの大事故によって、シーン全体が一つの岐路に立たされたことは間違いない。
以降、ネガティブにとらわれかねないインディーズにこだわる意味が薄れ、メジャーとインディーズの間にあった垣根は崩れ去っていく。
そして膨れ上がったままとなっていた、ストリートから発信される同時代的な等身大ロックへの、ティーンエイジャーの渇望は、また別のムーブメントを呼び起こす。
すなわち“バンドブーム”である。
バンドブームはインディーズではなく、メジャーレコード会社を中心に盛り上がっていくが、その中心地に立っていたのは稲葉貢一だった。
――会社に残った稲葉さんはその後、バップの第2制作部を独立させる形で、トイズファクトリーを立ち上げるんですよね。
「そうです」
――JUN SKY WALKER(S)のメジャーデビューミニアルバム『全部このままで』のリリースが1988年5月で、トイズファクトリーの歴史はここからですよね。そこに至る経緯をお聞きしたいです。
「ラフィンノーズの一件の直後から、僕が関わったバンドはゴーバンズでした。ゴーバンズはインディーズの頃から、ボーカルの森若香織さんと強い信頼関係がありました。彼女たちとともに、小さなものでもいいから自分で責任が取れる自分のフレームで、音楽を作り上げていきたいなと思ったんです。それで、新たにレーベルを作ろうと思い立ちました」
――インディーズブームからバンドブームへの過渡期の頃ですね。
「そうです。“ビートパンク”とくくられるようなバンドが盛り上がっていた頃です。そしてこれもなぜか池袋の豊島公会堂なんですが、ビートパンクのイベントでJUN SKY WALKER(S)のライブを観て、コレだ!と思いました。持ち前の疾走感と歌に魅力を感じましたが、ミディアムテンポの曲もめっちゃ良かったんですよ」
――なるほど。トイズファクトリーはJUN SKY WALKER(S)のほか、筋肉少女帯とTHE RYDERSを合わせた3バンドで発足したと聞きました。
「筋肉少女帯は御茶ノ水の明治大学の学祭に観にいきました。相当マニアックだけど、非常に文学的で面白いなと思いました。大槻ケンヂくんは独特の詩の世界を持っていて、すごく内気でいつもうつむいているのに、ライブとなると激しく弾ける。このギャップが面白いなと。だから当初は、ジュンスカ、筋少、ゴーバンズの3バンドで始めるつもりで、レーベル名はどうしようかな?と考えていました」
――THE RYDERSではなく?
「そうなんです。ところが一緒にやると約束していたゴーバンズとは、大人の事情で引き離されまして……。メンバーは僕とやりたがっていたし、事務所とも深く付き合っていたのですが、どうしても他社じゃなければならないという話で。あれはそう、恵比寿の喫茶室ルノアールでしたね。森若香織さんと僕で話をしたのは。すごく残念でした。でも、THE RYDERSという、ラフィンノーズの路線を引き継ぐような正統派のかっこいいパンクバンドを見つけ、当時のバップの社長に『この3バンドでレーベルを作りたいんです』と直談判しました。そして立ち上がったのがトイズファクトリーだったんです。スタッフは僕を含めてたった3人でした」
――3人ですか? バップ内のレーベルとしての発足なので、もっと大きな組織なのだと思っていました。メジャーレコード会社というくくりになると思いますが、かなりインディーズ的な体制ですね。
「まさにインディーズですよ。僕はそもそも『メジャー』っていう言葉が嫌いなんですよね、本当に。なんだか“面白くない”って言っているような気がして。それよりも大事にしたいのは“インディペンデントスピリット”です」
――JUN SKY WALKER(S)の『全部このままで』は、どんなレコーディングだったんですか?
「国内でレコーディングして、ミックスダウンだけ海外でやりました。おかしな話ですが、ラフィンノーズの経験を経て僕は、『ジュンスカは一発録りだ』という気分になっていたんです。なので『行け行け!』って勢いでレコーディングしたんですが、録音の時点で楽器の音もボーカルも音がひずんでいたんですよ。ミックスダウンしてもその音は直らないままでしたが、それがまたかっこよかった。これもインディペンデントスピリットなんでしょうけど、唯一無二なアーティストという原石を、なるべく削らずにピカっと磨く。そういう考え方でしたね」
――筋肉少女帯の方は? ナゴムレコード出身ですし、クセがかなり強いイメージですけど。
「筋肉少女帯は、大槻ケンヂくんが思い浮かべたことを、いい形で具現化することが使命でした。『仏陀L』(1988年6月にトイズファクトリーから発売された筋肉少女帯のメジャーデビューアルバム)のジャケット写真は、老人ホームで撮りたいという希望が出たので、クリエイティブのデザインチームが撮影可能な老人ホームを探し、お年寄りと大槻ケンヂ、キーボードの三柴理が並ぶ写真を撮りました」
――大槻ケンヂの心象風景を具現化したようなビジュアルですね。彼はやっぱりセルフプロデュース力に長けていましたか?
「そうですね‼ こんなこと、普通は思いつかないですよ」
――1988年5月21日にJUN SKY WALKER(S)、6月21日に筋肉少女帯、THE RYDERSのアルバムを同時リリースして、トイズファクトリーは華々しくスタートしたわけですね。旗揚げイベントも大きな話題になりました。
「日比谷野外音楽堂で『ロックンロールトイズボックス』というレーベル旗揚げコンサートを、チケット代100円でやったんです。コンセプトは、それぞれのアーティストが持っている動員数よりも大きい会場で、フリーライブをやるというものでした。でも完全なフリーにすると、何人来るかわからないし、お客さんにとっても思い出に残りにくいと思い、料金を100円に設定したんです。チケットは即完でした。JUN SKY WALKER(S)を2500人に観せることができたのは、多分、衝撃的なことだったと思います」
――わずかの期間で、時代が動いている感じですね。そしてJUN SKY WALKER(S)と筋少は爆発的な売り上げを記録したそうですが、ここまで売れるのであれば、レーベルをもっともっと大きくするという夢も広がったのではないかと想像します。
「いや、それはないですね。JUN SKY WALKER(S)は20数万枚も売れて、チャート1位に入ったりしましたが、レーベルを大きくしたいという欲はあんまりなかったんです。アーティスト数をもっと増やしたいとか、売り上げを右肩上がりにしたいとか、もちろん全く考えていないわけじゃなかったけど、そんなに強く思ってもなくて。当時は、自分とほか数人のチームでできることをやろうという考え方でしたから」
――やっぱり、まるでインディーズレーベルのようですね。
以下、後編に続く。10月19日(日)配信予定です。お楽しみに!

いなば・こういち/株式会社トイズファクトリー代表取締役 CEO。
1959年3月25日生まれ、神奈川県出身。81年、設立メンバーとしてバップに入社、88年、トイズファクトリーレーベルを設立。90年、会社として独立。以後、Mr.Children、ゆずなどを発掘。個性あふれる多様なアーティストが揃うレコード会社へと成長させる。
公式HP■TOY’S FACTORY
公式インスタグラム■TOY’S FACTORY
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1980年代に熱狂を生んだブームを牽引し、還暦をすぎた今もインディーズ活動を続けるアーティストから、ライブハウスやクラブ、メディアでシーンを支えた関係者まで、10代から約40年、パンクに大いなる影響を受けてきた、元「smart」編集長である著者が徹底取材。日本のパンク・インディーズ史と、なぜ彼らが今もステージに立ち続けることができるのかを問うカルチャー・ノンフィクション。
本論をさらに面白く深く解読するための全11のコラムも収録。
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【第一章試し読み その1】有頂天KERA、the原爆オナニーズTAYLOW……還暦すぎてもインディーズなふたりのパンク哲学とは?
【第一章試し読み その2】ラフィンノーズ・チャーミーの死生観。「『好きなことやって、俺、楽しかったから、オールOK』で死んでいきたい」
【第一章試し読み その3】ザ・スタークラブのHIKAGEとニューロティカのATUSHI。少しキャラ違いのふたりが歩む40年以上のパンク道
【書評 その1——作家・せきしろ】心にパンクがある。それだけで最強の武器を持っている気持ちになれる
