よみタイ

「手すり滑り」はいつ誰が始めた? スケートボードの歴史からスケーターファッション&カルチャーを完全解説

代表的なスケートシューズブランド

激しいトリックをキメるスケーターにとって、最も重要なファッションアイテムはシューズである。スケートシューズは、通常のスポーツ用スニーカーや街履き用スニーカーより、格段に高い堅牢性が求められる。硬いコンクリートの地面に繰り返し着地するスケートボードから伝わる衝撃は、他のスポーツとは比較にならないほど大きいためだ。
一般的なスケートシューズは、アッパー部分が全体に二重構造になっていたり、スケートボードのグリップテープと摩擦が起こる部分は特に頑丈な補強がされたりしている。また、着地時の衝撃を吸収しやすいようにインソールにも工夫が施され、体になるべく負担がかからないような構造になっている。
スケートシューズのオリジネイターブランドはヴァンズである。1977年、Z-BOYSのメンバーだったトニー・アルバやステイシー・ペラルタらによってデザインされたエラというモデルは、スケーターから圧倒的な支持を受けた。エラは現在でも販売され、スケーターにとっては定番中の定番となっている。
スケートシューズマーケットで先行したヴァンズは、スケーター人口の増加に伴い、専門ラインであるオフ・ザ・ウォールを設立。スケートボードでプールの端から空中に飛び出すことを意味する〝オフ・ザ・ウォール〞とは、Z-BOYSが広めたスケーターのスラングで、「頭のいかれたヤツ」というような意味を持っている。
ヴァンズは翌1978年に、SK8-HI(スケートハイ)というハイカットモデルも発売。これが飛ぶように売れ、スケートシューズといえばヴァンズという構図が確定的になった。
その後しばらくの間は、ほぼヴァンズの独壇場だったが、1986年になるとスケーター専門メーカーであるエアウォーク社が誕生。機能性とデザインで注目され、人気ブランドとして成長していく。また、同年設立され、翌年にシューズ部門がつくられたヴィジョン社のシューズも、多くのスケーターの支持を集めた。
その他、設立順に代表的なスケートシューズブランドを並べると、エトニーズ、DC、DVS、エメリカ、エス、ラカイ、ハフ、フォールン、ヴォックスなどがある。大手メーカーもこの市場を黙って眺めているわけにはいかず、2002年にはナイキ、2006年にはアディダス、そして2013年にはニューバランスもスケートボード専門のレーベルを発足させている。

ヴァンズ スケートハイ (lam eason/FLICKR)
ヴァンズ スケートハイ (lam eason/FLICKR)

その後

1991年にはロサンゼルスで、ハードコアパンクからヒップホップへと鞍替えした白人三人組グループ、ビースティ・ボーイズのメンバーであるマイクDが設立に参加したスケーターブランド、Xラージが誕生。1994年にはニューヨークでステューシーのショップを運営していたジェームス・ジェビアが新ブランド、シュプリームを設立する。ステューシーを含め、1990年代後半から現在までのストリートシーンに君臨する御三家ブランドは、いずれもスケーターカルチャーから誕生したのである。
同時期のアメリカ音楽界では、ニルヴァーナを中心とするグランジのブレイクが起こったが、グランジのネルシャツ重ね着スタイルというのは、基本的に1980年代から受け継がれてきたスケーターのスタイルを踏襲したものだ。
そして1993年には、世界中で再びスケートボードの大きなブームがはじまる。その後、二十一世紀の今日に至るまで、スケートボードは幾度となくブームを繰り返し、スケーターファッションは若者のベーシックなスタイルとして定着しているのである。

1980年代のスケートボード (FRANK BOSTON/FLICKR)
1980年代のスケートボード (FRANK BOSTON/FLICKR)
1 2 3 4 5

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

佐藤誠二朗

さとう・せいじろう●児童書出版社を経て宝島社へ入社。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わる。2000~2009年は「smart」編集長。2010年に独立し、フリーの編集者、ライターとしてファッション、カルチャーから健康、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動を行う。初の書き下ろし著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』はメンズストリートスタイルへのこだわりと愛が溢れる力作で、業界を問わず話題を呼び、ロングセラーに。他『オフィシャル・サブカル・ハンドブック』『日本懐かしスニーカー大全』『ビジネス着こなしの教科書』『ベストドレッサー・スタイルブック』『DROPtokyo 2007-2017』『ボンちゃんがいく☆』など、編集・著作物多数。

ツイッター@satoseijiro

週間ランキング 今読まれているホットな記事

  1. タワマン住みエリート会社員が少年時代にポケモンで遊べなかったことを後悔する理由とは?【5分後に、虚しい人生。試し読み】

  2. 稲田俊輔「西の味、東の味。」

    イナダシュンスケが〝世界一好き〟なラーメン店は鹿児島にあった

  3. 「わかり合えなさ」を社会言語学で解きほぐす

    第3回 友人からのマウント。挑発に乗らず、どう切り抜ける?

  4. 群ようこ「ちゃぶ台ぐるぐる」

    母の無水鍋

  5. 藤井セイラ「モラハラ・DVから 逃げる技術! 「この結婚失敗かも……?」と思ったら知っておきたいTips50」

    夫から逃げて、幸せです。【逃げる技術!第1回】モラハラ離婚の「ダンドリガイド」つくります!

  6. 中村憲剛対談「思考のパス交換」

    【中村憲剛×尾形貴弘対談 前編】最低の先輩だったパンサー尾形が「頑張ることこそカッコいい」と思えるようになった理由

  7. 藤井セイラ「モラハラ・DVから 逃げる技術! 「この結婚失敗かも……?」と思ったら知っておきたいTips50」

    殴る蹴るだけがDVじゃない【逃げる技術!第2回】あなたの周りにも隠れ被害者はいませんか?

  8. 伊藤弘了「感想迷子のための映画入門」

    岩井俊二『Love Letter』のヒロインが一人二役である理由 ――あるいは「そっくり」であることの甘美な残酷さ

  9. 齋藤美衣「台所で詠う」

    知り合って27年の夫のことを何も知らない【第6回 】夫婦の出会い直し

  10. 藤井セイラ「モラハラ・DVから 逃げる技術! 「この結婚失敗かも……?」と思ったら知っておきたいTips50」

    相談するって難しい【逃げる技術!第3回】合わなかったら「チェンジ!」も大事

  1. 進藤やす子「イラストレーター、准教授になる」

    愛犬が虹の橋を渡る…離れて暮らすデュアルライフだから考える家族との距離 【イラストレーター、准教授になる 第22回】

  2. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    なんてことないことがドラマのようで 第6話 タマ子の幸せ、守の夢

  3. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    誰にも言えなかった性的願望…それを解放できるのが「女風」だった【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第7話前編】

  4. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    「残念」とかいうな 「元気」なんか出るか 第5話 オレは怒っている

  5. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    女性用風俗に通う女性たちの心のうちを描くコミック新連載【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第1話前編】

  6. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    依存しては捨てられ……男に絶望した私がレズ風俗で見つけた「生きる理由」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第5話】

  7. 進藤やす子「イラストレーター、准教授になる」

    愛犬「ふうちゃん」と過ごす週末で心身が安定!最新は3拠点生活しています【イラストレーター、准教授になる 第21回】

  8. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    私も誰かを癒すことができる…?39歳人妻が女性用風俗から得た「気づき」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第6話後編】

  9. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    妻が逝った。オレ、もう笑えないかもしれない 第1話 さよなら、タマちゃん

  10. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    妻がそばにいることが、あたりまえだと思ってた 第2話 涙が出ない