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「手すり滑り」はいつ誰が始めた? スケートボードの歴史からスケーターファッション&カルチャーを完全解説

1980年代

一人一人の個性が強すぎたZ-BOYSは、結成からわずか数年でチームとしては終焉を迎えることになるが、1980年代に入ると、元Z-BOYSのメンバーがまた違う形でスケートカルチャーをけん引していく。トニー・アルバが設立したアルバスケートを筆頭に、ジム・ミューアのドッグタウン・スケートボーズ、ステイシー・ペラルタのパウエル・ペラルタなど、ストリートテイストなスケートブランドの活動が活発になっていくのだ。
1981年には、サンフランシスコで初のスケート専門雑誌『THRASHER』が創刊され、スケートボードブームが本格化。この頃からスケーターは、サーファーと完全に分離して独自のカルチャーを築きはじめたといえるだろう。
そして1980年代には、パウエル・ペラルタ社のプロスケートボードチームであるボーンズ・ブリゲードが一世を風靡。スティーブ・キャバレロ、ランス・マウンテン、マイク・マクギル、トニー・ホーク、ロドニー・ミューレンなど新たなスケートヒーローを続々と輩出し、折から増殖していた世界中のスケーターに影響を与えていく。街にある段差や壁、ベンチ、階段や手すりなどを使う、その後のストリートスケートの基本スタイルは、彼らによって確立された。
チームの中でも特に個性が際立っていたのは、現在はミュージシャンやアーティストとしても名高い、最年少メンバーのトミー・ゲレロだ。『フューチャー・プリミティブ』、『ザ・サーチ・フォー・アニマル・チン』、『パブリック・ドメイン』、『バン・ディス』など、1980年代にパウエル・ペラルタ社が制作した映像作品には、チームメンバーとともにサンフランシスコの街並みを滑り抜けていく若きトミー・ゲレロの姿を見ることができる。
これらの映像作品を観れば、スケーティングテクニックとともに、当時のスケーターのスタイルを知ることもできる。オーバーサイズ気味のTシャツやスウェット、バギーパンツあるいはリーバイスのデニムといった基本アイテムに変わりはないが、『THRASHER』のロゴTシャツやスカル柄のバンドTシャツなどが目立つのが、この時代の特徴といえるだろう。

スケーターの心に突き刺さったUSハードコアパンク

難易度の高いトリックをキメるためには、地道な練習とともに、ここ一番でのアグレッシブな気持ちも必要だ。そのため、スケーターの間では気分を高揚させるような、激しく疾走感があり、攻撃的な音楽が好まれた。1970年代のスケーターはハードロックやヘヴィメタルをBGMにしたが、社会からの疎外感や反抗精神という点からも、1980年代のスケーターの心に突き刺さった音楽は、ミスフィッツやバッド・ブレインズ、ブラック・フラッグ、マイナー・スレット、ビースティ・ボーイズなどのUSハードコアパンクだった。
特に、Z-BOYSのメンバーであったジム・ミューアの弟、マイク・ミューアを中心に一九八二年に結成されたハードコアバンド、スーサイダル・テンデンシーズは、スケーターの申し子のようなバンドだった。
1980年代半ばには、ハードコアパンクとヘヴィメタルの融合であるスラッシュメタルが誕生し、アンスラックスやメタリカ、メガデス、スレイヤーといった人気バンドが登場。スラッシュメタルもスケーターから絶大な支持を集め、別名スケートロックとも呼ばれるようになっていく。
1980年代のスケートボードの裏面に、ハードコアパンクやスラッシュメタルのレコードジャケットのような、おどろおどろしいグラフィックが描かれることが多かったのは、こうした理由によるものである。

1980〜90年代のスケータースタイル

USハードコアパンクやスラッシュメタルシーンと結び付いたことで、スケーターのスタイルには幅が生まれてくる。サーファー臭は一層薄れ、ロックテイストの要素が好まれるようになっていくのだ。
オーバーサイズ気味の古着のランバージャックシャツやネルシャツをTシャツの上に重ね着、あるいは長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを重ね着し、ショートパンツや極太のバギーパンツを穿くというスタイルが基本である。
そして、スケーターに支持される新興ブランドも登場する。1970年代中頃から南カリフォルニアのニューポートビーチやラグナビーチで、サーフボードのシェーパーをしていたショーン・ステューシーが1980年に設立したブランド、ステューシーである。独創的なサーフボードでカルトな支持を得ていたショーンは、サーフィン関連用品の展示会会場で着るため、自分のサーフボードに綴っていたロゴやグラフィックをプリントしたTシャツをつくる。それがこのブランドのはじまりである。
当初は常連客と、サーフィン仲間である地元の友人にTシャツを販売したり配ったりする程度だったが、徐々にバリエーションを増やしつつあった1985年頃、彼のつくるイージーパンツやスカル柄のウェアが、スケーターの目にとまった。サーファーでありながらクラブ好きで、パンクとヒップホップに影響を受けたショーンの感性が、サーフィンカルチャーと分離しつつあったスケーターの志向とがっちりかみ合ったのである。
1990年代に入ると、ステューシーはサーファーやスケーター専用にとどまらず、ストリートウェアブランドとして幅広い支持を集めるようになる。1990年にはニューヨークのソーホーにチャプトをオープン。その後、東京、ロサンゼルス、ロンドン、イタリアなどにも進出し、ワールドワイドな展開をはじめる。

1980年代のステューシーの広告
1980年代のステューシーの広告
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新刊紹介

佐藤誠二朗

さとう・せいじろう●児童書出版社を経て宝島社へ入社。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わる。2000~2009年は「smart」編集長。2010年に独立し、フリーの編集者、ライターとしてファッション、カルチャーから健康、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動を行う。初の書き下ろし著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』はメンズストリートスタイルへのこだわりと愛が溢れる力作で、業界を問わず話題を呼び、ロングセラーに。他『オフィシャル・サブカル・ハンドブック』『日本懐かしスニーカー大全』『ビジネス着こなしの教科書』『ベストドレッサー・スタイルブック』『DROPtokyo 2007-2017』『ボンちゃんがいく☆』など、編集・著作物多数。

ツイッター@satoseijiro

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