2022.7.29
『本を読んだら散歩に行こう』出版記念対談! 中島京子×村井理子「谷ありすぎ山だらけ!? ドラマあふれる五十代の日常」
認知症が作り出すストーリーの不思議
村井 認知症なのに元気で運動神経がいい義母は車の免許の更新ができてしまって、返上をお願いしたらものすごく怒ったんです。ケアマネさんもビビるくらい揉めました。最終的には義母が「よその車が壁に激突して人が亡くなるのを見たから返上を決めた」と言い出して決着。義母の頭には妄想や幻想が渦巻いていて、それらを組み合わせて自分が好きなストーリーを作るみたいです。
中島 それをお作りになるところがすごいですよね。きっと自分でも「もう運転は無理」とわかっていたから、自分を納得させるストーリーを作ったわけでしょう? 本当に認知症という病気は興味深いですよね。
村井 宛名が女性の郵便物が義父母宅に誤配されたときは、義父が浮気をしていると言い出しました。そんなはずはないのに、義母からすると理にかなっている。だからゆずらないんです。
中島 お義父様はモテる方でしたか?
村井 全然違います。真面目一徹で。義父を愛しすぎてるんでしょうか。だからお願いしているヘルパーさんは、ほぼすべて男性です。
中島 私の父はたびたび徘徊しましたが、財布を持たずに喫茶店でお茶を飲んでいたりするんです。「見つけた!」と思ってお店に入っていくと、「高等学校のときの友だちと会っていて、彼は今帰ったところだ」と言う。ちゃんとしたストーリーになっているのだけれど、父がストーリーを作っているのか、それとも私たちには見えないことが起こっているのか。どういうことなんだろうと思いましたね。
村井 私と義母は仲が悪かったけれど、私に子どもが産まれてからはそれなりに友好的ではあったんです。今のような関係に切りかわったのは、病院で「認知症です」と言われた瞬間から。
中島 そうなんですか。
村井 自分で「不良」と書いた半紙付きのビール瓶を「あなたへのプレゼント」と言って渡されたり、私にだけ足で踏みつけたコロッケを持ってきたり(笑)。そんなことが五年くらい前からあって、私へのいじわるだと思っていましたが、「すべて認知症のせいだったんだ」と納得がいきました。
中島 そこまでのいじわるは小説家でも思いつかないですよ(笑)。
村井 「事実は小説より奇なり」みたいなことがいろいろありましたが、認知症だったとわかった瞬間、何とも思わなくなりました。
中島 病名をはっきりさせることって、やっぱり大事ですね。村井さんが何とも思わなくなったことで、お義母様も安心して今の関係を作られたのでしょうね。
村井 認知症以外に特に問題がない場合は、その人のどこが欠けているのかわかりにくいと思います。全体が平均して欠けていくのではなく、点で打つように欠けていく。全体的に見ると昔とあまり変わらないから、私もあれだけ義母の近くにいたのにわからなかった。例えば彼女は身辺のことはすべて自分でできるけれど、包丁は使えない。そういう感じです。
中島 認知症という病気は、本人がつらいでしょうね。特に初期が。自分ができたはずのことができない。なぜ自分がここにいるのかわからない。そういったことが周囲にばれずに起きている期間が相当長いのだろうなと想像します。ウチの父が鬱状態になったのも、認知症が始まった頃でした。
村井 鬱と認知症の初期は似ていると聞いたことがあります。
中島 「齢をとって気難しくなった」と思っていましたが、認知症だとわかって「ああ、やっぱりそうか」と。ただ私の場合は父との仲に特に問題がなかったので、そのときそのときの姿を受け入れていった感じです。私としては、父の変化を面白いと思えたことが救いでしたね。父にとってもそれでよかったんじゃないかな。本人が一番つらいのに「なんでこんなことするの」と責めたりしたらギクシャクするでしょうし。