2026.9.4
「男児ママ」というゲームが存在する。ルールはシンプルだ。【窓際三等兵の新作タワマン文学】
選択肢さえ間違えなければ、違う未来があったのだろうか
東京という街で男として生きる以上、好むと好まざるとにかかわらず、学歴や年収で競い合うことになる。少しでも支えになれれば、というのも母親の愛情だ。でも、60を超える偏差値を前に、仄暗い優越感が一切なかったといえば嘘になる。男児ママというゲームのルールが、そして息子の表情が変わっていたことに気づかないほどに。
大切なのは合否という結果ではなく、なにを学んだかという過程だ──。受験界隈で繰り返し語られていた警告について、当時の私は鼻で笑っていた。そんなものはゲームに勝てない側の戯言だと。まさか自分たちが敗者になることなど、想像することすらできず、笑い声が家から消えてからでは手遅れだと、知ろうとしなかった。
ふと我に返ると、母親の存在など気にかけてもいないであろう息子の背中が段々と小さくなっていく。暴力的な日差しにもかかわらず、日傘を差していない。声を張り上げようとするが、水筒を手渡したときの様子を思い出し、すんでのところで止める。どうせ、何を言ったところで、私の言う事など聞きやしないのだ。
これが娘だったら、また違う世界線があったのだろうか。何度目かわからぬ自問自答を繰り返す。夫ではなく私に似て、普段は友人のように付き合いながら、要所要所で人生の先輩としてサポートしてあげられる関係性。そうであれば、勝手に期待して失望することも、軽んじられると悲観することもなかったのでは、と。
これから旅行に出かけるのだろうか、駅の方へとスーツケースを転がす母と娘が視界に入る。他者と比べても仕方ないと思いながらも、どうしても羨ましいと感じてしまう。もし我が子が男児でなければ……いや、私が選択肢さえ間違えねば、また違う未来があったのだろうか。今となっては確かめる術はない。
「男児ママ」というゲームが存在する。ルールはシンプルだ。電車に詳しくなること。ズボンの膝の穴を繕い、洗濯前にポケットにドングリが入ってないか確かめること。カブトムシと共に生活すること。そして何より大切なのが、我が子を他の参加者の子と比べないこと。それらを積み重ねたものだけがこのゲームに勝利するが、ルールを把握した時点で既に手遅れになっていることが多い。
(了)
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