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アスファルトに緑のコケ!? 豪大陸521キロのアドベンチャーマラソン、最難関132キロで幻覚を見た!

 日が落ち、暗闇となった。

 日中の25℃から一気に10℃を下回ってくる。足裏は走る衝撃で腫れて痛み、体は寒くて震えだす。ダウンを着て寒さをしのぐも力が入らず、ほぼ歩くスピードくらいにペースが落ちていた。何人もの選手に追い抜かれた。84キロ地点で順位を確認すると後ろから5番目だ。まずい。ここで今まで使わずにとっておいた携帯音楽プレーヤーを使う。レースでは、風の音を聞き、景色を見ながら走るのが好きなのでいつもは聴かない。だがここぞという時に使って、逆境を打破するアイテムとして温存していたのだ。KANの『愛は勝つ』や大事MANブラザーズバンドの『それが大事』など、聞き慣れた応援ソングを聴いた。どこに残っていたのかパワーが大爆発した。困難で挫けそうになり、逃げたくなる。そんな気持ちに寄り添ってくれる、背中を押してくれる歌詞がとてつもない力で心を貫いていく。加えて、今まで日本語を話せず聞けず、溜め込んできたフラストレーションが弾けたのだろうか。本当にうそのようだが、完全復活した僕はダウンウェアを脱ぎ、一気にダッシュ。3人を抜き、猛烈な巻き返しをみせた。

 そうして100キロを通過するも、曲によるトランス状態は残念ながら2時間程度で切れ、一気に反動がやってきた。「最後に愛は勝つ」のではなかった。アドベンチャーマラソンは甘くなかったのだ。そこで食事をとって食欲が満たされると、今度は強烈な眠気がやってきた。当然だ。この時、午前0時30分。まる16時間半、起きて走り続けているのだ。疲労の限界はすでに超えている。いつでも眠れるギリギリの状態。そんな中、ほとんどない体力を振り絞り走り続ける。しかし体は「止まれ」と言ってくる。「できる」と自分をだましながら、走り、歩き、走り、歩き、走る……。

 1時間、2時間、3時間が過ぎただろうか。何をしても眠い。どこかでひと眠りしたいが、気温0℃の中で体温が上がらない僕は、寒すぎて止まることもできない。おなかも空いた。体温を上げるために食べないといけない。でも食べるともっと眠くなるから食べられない。でも食べないと走れない。走らないと眠い。でも疲れ切って眠くて走れない。〝でも〞のループだ。もはやどうすればいいのか冷静に思考をめぐらせることもできない僕は、ただ前に進むしかなかった。

 さらに試練はやってきた。ライトの電池が消耗し、ほとんど前が見えなくなってきた。あたりは真っ暗で前後に選手はいない……。意識がまともじゃなくなり、視覚に異常が現れてきた。

「ア、アスファルトに、こ、苔が生えている!」

 真っ黒の道路が緑に見えたのだ。さらにまわりにはいるはずのない人やベッドが見える。道路の白線がぐにゃぐにゃ曲がって見える。視覚に加え、平衡感覚もおかしくなり、まっすぐに走ることもできなくなった。夜明けまではまだ何時間もある。

 音楽を聴いても、顔を叩いても、ビデオで自撮りしても、一向に眠気や疲れはとれない。どうにか115キロ地点のチェックポイントにたどり着いた。ここでスタッフと会うが、どうやら僕はまともに会話ができていないようだった。

「タカオ! タカオ! 君は今まともじゃない! ここで少し休め!」

 そう言われるも、僕は立ち止まることを拒否し再び進んだ。少し休んだほうが良かったのかもしれない。でもここが自分の限界だと認めたくなかった。意志を貫きたかった。だが、もう精神はギリギリを超え崩壊寸前。コース脇に座り込む。一瞬で寝落ちするが、数分も経たないうちに凍りつきそうになって目が覚める。今思えば、あの時目が覚めたことは奇跡だったかもしれない。あのまま眠っていたらおそらく今、僕はここにいない気がする。ガタガタと震えあがる体は、もう止まることも、座ることもできず、ただただ前に進むしかなかった。10歩歩いては立ち寝、また10歩歩いては立ち寝、そんな状態になっていた。

 そんな時間が2時間も続き、朝6時半ついに朝日が昇った! 夜通し走った時、似た経験を何度かしたが、本当に太陽のパワーはすごい。太陽の光を浴びるや人間としてのパワーがでて、目も普通に見えるようになったのだ。そして気がつけば残り7キロだ。残る力なんてもうなかったはずだが、どこかから湧いてきた力を振り絞って走り、歩いた。そして、ついに、ついに長いゴールを迎えた。赤色の大地に立てられたゴールフラッグ。その奥にそびえるのは世界遺産エアーズ・ロック。完走を盛大に迎えてくれるスタッフや先にゴールした選手たち。彼らの存在はこの時の僕にとって世界遺産以上に貴重なものだった。

「やっと、やっと、やっと、やっとだ。ゴールだ!」

フィニッシュラインを越えると同時に、僕はジェロームの胸に飛び込んだ。

「完走おめでとう! タカオ!」

ずっと応援してもらってきていた彼からこの上ない言葉をもらい感極まる。521キロの「ザ・トラック」を日本人初走破。その目標を達成でき、大きな感動が込み上げてきた。でも本当は、生き延びた……という気持ちのほうが強かったかもしれない。それだけ長い長い長い道のりだった。最終ステージ132キロを24時間53 分で走り、合計タイム79時間38分、10位という結果だった。

ついに日本人初の「ザ・トラック」走破! 自然と雄たけびが沸き起こった。
ついに日本人初の「ザ・トラック」走破! 自然と雄たけびが沸き起こった。
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新刊紹介

北田雄夫

きただ・たかお
1984年生まれ、大阪府堺市出身。中学から陸上を始め、近畿大学3年時に4×400メートルリレーで日本選手権3位。
就職後は一度、競技から離れるも「自分の可能性に挑戦したい!」と再び競技を始める。
2014年、30歳からアドベンチャーマラソンに参戦。
17年、日本人として初めて「世界7大陸アドベンチャーマラソン走破」を達成。
現在は「世界4大極地の最高峰レース走破」にチャレンジ中。

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