2021.1.19
食費だけで14万! 準備万端で挑んだはずの「サハラ砂漠1000kmレース」で待ち受けていた最悪のトラブル
気温は45℃! 熱中症でドクターストップ
11月5日。朝4時半、起床。準備を始めた。
足元のマメ予防のために皮膚保護クリーム、やけどを防ぐために顔や手に日焼け止めを塗る。リュックには底に寝袋やダウンジャケットなどのかさ張るものを詰め、上部にはライトや薬など使用頻度の高いものを入れる。
外側にあるポケットには、走りながら摂りたい食料とドリンクを入れたボトルをつけた。リュックの重量は5キロほどになった。
簡単な朝食を済ませ、夜が明けようとする6時半。体操をする選手、入念に装備をチェックする選手、ビデオでメッセージを残す選手、それぞれの方法でスタートを迎えていた。互いの健闘を願い「グッドラック!」と言い交わす。主催者のアランから話があったが、僕は興奮していて何も覚えていない。
スタートを切った。
およそ東京から福岡までの距離にあたる1000キロを走破するために、毎日60キロ、つまりチェックポイント3個分を進み、計17日で走破するレースプランを立てた。
シンゲッティの街を越えると、あっという間に砂丘地帯だ。砂はやわらかくもろい。一歩踏み出すごとに、足が埋もれて踏ん張れない。
僕は第2グループで3位の選手の後ろについていたが、その選手とも途中の分岐点のような場所で離れた。都度GPS時計を見て確認するが、ルートは20キロ先のチェックポイントに向けてただ一直線に線が引かれているのみ。当然、道はない。単なる砂漠なのだ。
GPS通りに一直線に進めば最短距離なのだろうが、砂丘は山になっており、上り下りし続けることになる。だがそのアップダウンを迂回するにしても、どっちに行くのが良いのかさっぱりわからない。暑さで火照ってきたせいもあってか、頭が混乱してうまく判断ができない。
記念すべき20キロのチェックポイント1は、スタートから3時間半の5位で到着した。
本当にあるのか不安だったが、GPS時計の位置通りのポイントにあったことに感動した。そこは何人かのスタッフと、1本の木のかげにシートが敷いてあるだけの簡素なもの。一面見渡す限り砂漠の中のピクニックという風情で写真に収めたら特別な一枚になるだろうが、レースの休憩地としては、全然くつろげそうにない。先行きがとても不安になる。
水を補給し10分だけ体を休ませ再スタートした。
正午になると気温は45℃を超えていった。照りつける太陽で体中が熱を帯びる。足元はまるでヒーターがあるかのような熱気だ。尋常じゃないほど汗をかき、手足もしびれてくる。
「次のチェックポイントまであと10キロ。すぐじゃないか」
たとえばアスファルトの舗装道路を走っているならその通りで、10キロは1時間も走れば着く距離だ。
しかし砂漠ではそうはいかない。足が砂にとられ何倍も重い。進まない。フラフラしだして倒れそうになったので、木かげを探し休んだ。残りわずかになった水を頭にかけて冷やし、5分ほど休み走り出す。GPSで最短ルートをたどる余裕もまったくない。先行する選手の足跡を必死に探しながら進んだ。
チェックポイント1を出発してから5時間半後、全体の40キロ地点のチェックポイント2に着いた。10畳ほどの白いテントにマットが敷かれている。意識はすでに朦朧としており、リュックを降ろすと同時に倒れ込んでしまった。
「だめだ……。気持ち悪い……」
だるい。吐き気ももよおす。全身が熱い。日本での実験で軽度の熱中症を経験してきたが、その症状をはるかに超えるひどさだった。スタッフからもらった水を、風の通る日かげで全身にかけつづけた。同行する医師が診察にやってきた。
「熱中症だ。回復するまでここでゆっくり寝て休むように」
ドクターストップが伝えられる。言われる前からもう限界だと感じており、そうするほかないと思っていた。
「……まだ40キロだぞ。初日でこれか。残り960キロもあるんだぞ。こんな状態が続くと完走などできるはずない。それ以上に命が危ない……」
頭に浮かぶのはそんなことだけだった。
3時間が過ぎた19時ごろ陽が傾いてきた。時を同じくして、僕の体からも少し熱が引いてきた。頭はまだぼーっとするが、体を起こせるようになり、なんとか危機的状況は乗り越えられたようだった。食欲も少し回復した。
気がつけばブリジッドもテントの側の日かげで休んでいた。だが、様子が少しおかしい。医師やスタッフがゆっくり休むよう彼女に伝えるのだが、「それではゴールができない!! どうすればいい!!」などと大声で叫んでいる。パニック状態に陥っているのだ!
「これから真っ暗な夜になる。この状態では遭難や命の危険もでてくる。あとから来る最後尾の選手たちと一緒に行くように」
僕たちふたりはそう指示された。
マレックを含めた最後尾の選手3人がやってきた。彼らは制限時間ギリギリにゴールできるよう、とにかく無理せず同じペースで進み続けるレースプランだったようだ。彼らに合流し、次のチェックポイントまで進むことになった。